昨日(金)の夕方に河内・和泉国探訪の旅に出るつもりだったが出遅れて、今日(土)午前九時に出た。これでは中途半端で探訪の実は挙げられない。が、出掛けに好いことを想い付いた。「木の芽峠」を発見してこの足で実地を踏んでみよう。そして午後大阪に向い、奈良県西部の平群か當麻あたりの道の駅に滑り込んで日曜日の午前中を河内・和泉の文化財探訪に当てて午後には帰路に就こうと。名案に思えたので実行したのだが、木の芽峠は車で到達できない。最後は歩かねばならない。この歩きでしくじった。旧北陸街道を踏み外して鉢伏山という最高峰の頂上まで登山してしまった。斜度の凄い登りだった。心臓病・貧血のこの身にてき面に応えた。息も絶え絶えだった。頂上を極めてここは木の芽峠でないと確認して引き返す時、なんとそっくり返るような姿勢で下って来た。それだけきつい登りだったということ。セレナを停めて登り出した時、百メートルも登らないくらいの頃に近くから犬の吠え声がした。人家があるに違いないと思い、人家と云えばこの辺りには木の芽峠の茶屋の茅葺家を十数代に亘って守り続けているという家しかないことを知っていたので、ボクはひょっとしてそんな近くが峠かも知れぬと心の片隅にかけながら鉢伏山の山頂までずるずると登ってしまった。下って来て犬の吠え声がした方面に足を踏み入れてみると、何のことはないそこが「木の芽峠」であり「峠の茶屋」の古家があった。明治天皇もこの峠を越えて敦賀に下りられた。その際この峠茶屋で小憩をとられたそう。この峠茶屋、今は全く機能していない。しかし人は住んでいる。困るのは番犬が四頭もいること。四頭とも凄まじく吠える。しかも二頭は繋いでなかった。ボクの後方から吠えかかって来て一匹はその鼻面をボクのふくらはぎに押し当てて威迫する。ハイキングの人達はこの峠で犬に吠えかかられて往生しているのではないか。とにかくボクは「木の芽峠」を実地見分することに成功したのは間違いない。芭蕉もこの峠を越えて敦賀に出たのは確か。芭蕉の記念碑はなかった。あったのは明治天皇の小憩所石碑と道元禅師の通過石碑、それに平重盛の墓。
奈良・大阪に向うには予定時刻をオーバーし過ぎで脚がオーバーワークだったので、七尾に戻ることにした。
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