〇和泉国三宮「聖神社」は和泉市街の外れの岡にある。尤も今はここも市街地に呑まれている。
和泉国は五宮までその存在が明瞭。一宮は大鳥神社、二宮は泉穴師神社、三宮はここ聖神社、四宮は積川神社、五宮は日根神社。これら五社を巡行せずともその一社を参れば全社を廻ったことになる便宜な神社が和泉国総鎮守社・泉井上神社。
↓一の鳥居
↓二の鳥居境内。中央が拝殿。真新しい
↓拝殿から本殿を見る
↓横手から本殿を見る。重文
↓「聖神社 聖神社は白鳳3年(674)、天武天皇の勅願によって信太首(しのだのおびと)が創建したと伝えられ、以降延喜式内社、和泉国五社明神の三の宮に列し、「信太明神」の別称でも人々に親しまれている。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の孫神「聖大神」を主祭神とし、天照大神他四柱の神々を配祀している。かつての境内地は信太山丘陵の大半約百万坪を有していた。境内には国指定重要文化財である慶長9年(1604)再建の聖神社本殿をはじめ、末社の三神社本殿、瀧神社本殿があり、末社平岡神社本殿は大阪府有形文化財に指定されている。」
「聖神社本殿 豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建し、屋根は檜皮葺、桁行三間、梁間三間の三間社入母屋造と云う神社建築様式で、桃山文化の粋を集めた極彩色の装飾が施された壮麗な社殿」↓末社平岡神社
本殿は大阪府有形文化財
↓右・末社三神社、左・末社瀧神社
↓重文・末社三神社本殿。元は東南部の神護寺「奥ノ院」に鎮座していたが、明治6年に現在地へ遷座した
↓三間社春日造と呼ばれる全国的にも珍しい建築様式(春日造は普通一間社)
↓末社瀧神社本殿・重文
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