〇和泉国一宮・大鳥大社は堺市街地に鎮座する。日本武尊が伊吹山でその山の神(大猪らしい)に負傷させられ、伊勢国に辿り着いて足が三重に折れて動けなくなりその地で果てた(その地は三重郡と名付けられ、三重県の名はその郡名に由来)。その地から一羽の白鳥が舞い飛び、大和国に舞い降りた後、更に西に向かって飛翔して和泉国に舞い降りて息絶えた。その終焉の地に建てられたのが大鳥大社だそう。
↓「大鳥大社 御祭神は、日本武尊と大鳥錬祖神(おおとりのむらじのみおやのかみ)の二柱であり、和泉国一の宮にあたる延喜式内社です。‥‥本殿は、神社建築史上、大社造につぐ古い様式で、大鳥造と呼ばれている切妻造の妻入り神社建築ですが、明治38年に焼失し、同42年に造営されたものです。神域は千種森(ちぐさのもり)といわれ、樹木が密生しています。白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったという伝説もあります。平清盛・重盛父子も、平治元年(1159)熊野参詣の途中当社に参拝し(清盛が京を空けた隙をついて平治の乱が勃発、取って返す途次清盛親子は戦勝祈願)、清盛は「かひこぞよかへりはてなば跳びかけり はぐくみたてよ大鳥の神」と詠み、のちに富岡鉄斎(当社大宮司)の筆による石碑が建てられました。‥」
↑大鳥居を潜って直進すると森にぶつかり右折する。
↓右折してきた所。ここから今度は左折する。
↓左折したところ。正面奥の森に摂社・大鳥美波比神社がある。
↓「大鳥美波比神社」
↓摂社の手前右に花菖蒲園がある
↓摂社手前左手に大鳥大社本殿がある
拝殿
↓拝殿の背後。本殿は見えない
本殿の屋根一部
↓祈祷殿ではないか
↓本殿前鳥居の手前右手に石碑がある。
↓「平治元年、平清盛、重盛親子が熊野参詣の途中、都にて兵乱あるとの急報を聞いて都に帰る途中、大鳥大社に参拝し、戦勝を祈願した。この時「かひこぞよかへりはてなば跳びかけり はぐくみたてよ大鳥の神」この和歌一首と神馬一頭を献じた。明治初年大鳥大社大宮司富岡鉄斎翁の筆により建てられた自然石の碑です」
↓神馬銅像の背後の森の中にひっそりと佇むのは日本武尊の銅像
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