曾良随行日記には、村上城中に参内したことが書かれている。
「○二十八日 朝晴。中村ヲ立、到蒲(葡萄村だろう) ‥‥。申ノ上刻(午後三時過ぎ)ニ村上ニ着、宿借テ城中へ案内。喜兵・友兵来テ逢。彦左衛門ヲ同道ス。」
〇《奥の細道》本文で芭蕉は、二泊した村上については全く触れていない。文学作品としての構成上不要と考えて省いた。村上に歌枕はない。
↓村上城登山口。山頂は標高135m。
↓明後日(月・海の日)、月山八合目に立つが、果たして登頂に挑む資格があるかどうか、その試金石のつもりで登った。坂道の写真が多過ぎるかも知れないが、ボクにはそんな思い入れがあるので悪しからず。途中、展望台があった。
↓とうとう山頂の入口石垣に到着。月山登山は覚束なし。
↑↓ 「四ツ門跡」。四つ足門跡と云う意味だろう。
↓調練場跡
↓この地図を子細に検討すると、「四ツ門」は四つ足門ではなく、東西南北四方向に備えた門が文字通り四つあったと見える。
↓二の丸石垣
↓御鐘門跡。二の丸入口にあたる。
↓出櫓跡
↓本丸石垣
↓先の石垣を廻り込むと本丸入口がある。
村上市街の眺望。右側の山裾を三面(みおもて)川が流れて日本海に注ぐ。
天守櫓跡に咲く百合。
↓下山。登山口に隣接して「城主居館跡」が広がる。
〇芭蕉は村上城中のどこまで案内されたかは分らないが(案内者は家老職だったらしい)、村上城の登り口辺りまで来たことは間違いなかろう。ボクは芭蕉が訪れた所をまた一つ踏んだことになる。
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