『石瀬野(いわせの)に 秋萩しのぎ 馬並(な)めて 初鳥狩(はつとがり)だにせずや別れむ』 「石瀬野」は歌枕。その「イワセノ」の地名が曾良随行日記に出てくる。芭蕉はイワセノを通っている。そこでこの「イワセノ」を探訪する。「高岡いわせの」郵便局があるらしい。
それから滑川から高岡までの行程が曾良随行日記によるとかなり詳しい。
『○十四日 快晴。暑甚シ。富山カヽラズシテ(滑川一リ程来、渡テトヤマへ別)、三リ、東石瀬野(渡シ有。大川)。四リ半、ハウ生子(渡有。甚大川也。半里計)。 氷見へ欲レ行、不レ往。高岡へ出ル。二リ也。ナゴ・二上山・イハセノ等ヲ見ル。高岡ニ申ノ上刻着テ宿。翁、気色不レ勝。 暑極テ甚。不快同然。』この行程をできるだけ忠実に辿ってみる。江戸時代の一里は36町で約4km弱。結果報告は《奥の細道紀行》として。
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