〇芭蕉生家の裏木戸を潜ると釣月軒が建っている
↓釣月軒。芭蕉の書斎だった↓「釣月軒の由来記 釣月軒は芭蕉翁の生家松尾氏の後園に建てられた草庵である。寛文12(1672)正月25日、ここで芭蕉は自撰の処女集である『貝おほひ』を執筆し、上野天神に奉納して江戸に下ったといわれている。この『貝おほひ』は、「三十番俳諧合(あわせ)」というごとく、芭蕉が郷里の上野の諸俳士の発句に自句を交えて、これを左右につがえて三十番の句合とし、更に自ら判詞を記して勝負を定めたものである。書名は遊戯の「貝おほひ」の「合せて勝負を見る」ところによったもので、序文に「寛文12年正月25日 伊賀上野松尾氏宗房 釣月軒にしてみづから序す」とある通り、芭蕉が上野においてこの書を編み、折から菅公750年の忌日にこれを奉納したものと思われる。版行は久しく不明であったが、昭和10年天理図書館が所蔵している。本書は29才の時の芭蕉撰集であるとともに、芭蕉の生前自署し、自著として刊行した唯一つの出版物である。芭蕉の判詞は当時の軽妙な洒脱を自由自在に駆使したもので、その闊達で奔放な気分は談林俳諧の先駆的なものとなったことはいうまでもない。いわば釣月軒は芭蕉翁立志の端緒をしめす文学遺跡であり、芭蕉文学の思想作風などの変遷を知る大切なものである。」
↓手前は土場になっている
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