〇芭蕉堂は西行庵に隣接してある。
↓「芭蕉堂 この堂は、江戸時代中期、俳聖松尾芭蕉をしのぶため、芭蕉にゆかりの深いこの地に、加賀の俳人・高桑蘭更が営んだことに始まる。鎌倉時代の初め、諸国を旅して自然を友とした西行が、この地に阿弥陀坊を訪ね、《柴の庵と聞くはくやしき名なれども よにこのもしき住居なりけり》(山家集)と詠んでいる。芭蕉は、この西行を心の師とし、西行を慕って旅の生涯を送ったが、この地で、先の西行の作歌を踏まえて、《しばの戸の月やそのままあみだ坊》(小文庫)の一句を詠んだ。この句を生かして蘭更が営んだのが、この芭蕉堂である。堂内には、蕉門十哲の一人、森川許六が刻んだ芭蕉の木像を安置する。毎年4月12日には花供養、11月12日には芭蕉忌が行われる。なお、東隣の西行庵庭内には、各務支考が芭蕉17回忌に建てた「かな書の碑」がある。」
↓「芭蕉桃青堂」 御堂の名前。「桃青」は芭蕉と名乗る前に使っていた俳号
〇西行堂・西行庵 リンク→http://takashikun.blogspot.jp/2016/04/blog-post_6.html
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