↓「東叡山・寛永寺」
徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜が朝敵とされてひたすら謹慎恭順の意を体して引き籠ったのは、ここ寛永寺だった。
↓根本中堂・本堂
↓本堂側面
↓右から鐘楼、虫塚、上野戦争碑記
↓「上野戦争碑記」
↓本堂境内の案内図。東京芸大の構内に釈迦堂(大黒天)があることになっている。上野動物園内に五重塔が取り残されたようなものかと、最後の探訪に赴くことに。
↓東京芸大音楽学部。門衛に訊いても、大黒天のことは聞いたことがないそう。
↓通りを挟んだ美術学部の門衛も、聞いたことがないという。
どちらの門衛も口を揃えるようでは芸大構内に釈迦堂(大黒天)はないのだろう。念のため東京芸大構内図を当ってみたが、両学部のどこにも表示がない。
↓根本中堂内で300円で購入したパンフの山内図を見ると、左側中央に東京芸大美術学部があり、その構内の左下に確かに「護国院(釈迦堂)」がある。どうやら釈迦堂は芸大構内に隣接しているが構外にあるらしい。「護国院」は寛永寺の子院だという。塔頭寺院とは別ものか。寛永寺所属の伽藍と言っていいのか。もっとも建物は江戸時代から明治時代まで移転を重ねまた焼失して現在のものは明治以降の建造らしい。ここは探訪せずに済ましてよいか。それならボクの寛永寺探訪は満願となる。
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