〇芭蕉稲荷神社・芭蕉庵跡の筋向いの隅田川土手に「江東区芭蕉庵史跡展望庭園」がある。
↓展望庭園入口
↓門を潜ると左手に蹲っている句碑。《川上とこの川下や月の友 芭蕉》
↓隅田川下流を見る。青い橋の左袂に、芭蕉が採茶庵から仙台掘に浮かべた小舟が顔を出したという。
↓隅田川上流。そして隅田川を遡り千住宿を指して漕いで行ったという。
↓展望公園の芭蕉翁之像
〇展望公園に展示された芭蕉庵の図
↓「深川芭蕉庵 俳誌「ホトトギス」明治42年1月号に所載の図。‥‥本図の原画は19世紀初頭前後に描かれたものだろう。手前の土橋は、《芭蕉庵再興集》所載図の土橋と似たところがある」
↓「埋木(うもれぎ)の花 明和8年(1771)に再興された深川要津寺の芭蕉庵を、それから55年後の文政9年(1826)に、平一貞がその著《埋木の花》に実見記録したもの。‥‥」
↓「芭蕉文集 安永2年(1773)に、小林風徳が編集出版した《芭蕉文集》に掲載する図。窓辺の机の上には、筆硯と料紙が置かれ、頭巾を冠った芭蕉が片肘ついて句想を練っている。庭には芭蕉・竹・飛石・古池を描く。以後これが芭蕉庵図の一つのバターンとなる。絵の筆者は二世祇徳‥‥」
↓「芭蕉庵再興集 明和8年(1771)に、大島寥太が、芭蕉百回忌取り越し追善のため、深川要津寺に芭蕉庵を再興した。その記念集《芭蕉庵再興集》所載の図。‥‥草庵の丸い下地窓、枝折戸が印象的。‥」
〇これで江戸深川の芭蕉《奥の細道》の旅出立地で見分しようと思った全史跡等を回った。ここから一転千葉県市川市の法華寺に向かった。
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