〇新発田城から下道を延々60kmほど東南方向の山奥にひた走った。山奥に入ると阿賀野川中流に鹿瀬ダム・発電所があり、手掘りの様なトンネルを幾つも潜りして着いたのが「護徳寺観音堂」のある村。
↓駐車場にハリアーを停めると直ぐにそれと分る御堂が目に飛び込んだ。
↓明るくて邪魔なものがない。
↓弘治3年(1557)建立。堂の由来は、中世会津地方に勢力を張り、天正17年(1589)に滅亡した葦名が伊達氏との抗争に際し、念持仏(聖観世音菩薩)を密かに移した所と伝えられている。
↓観音堂の右手前に伐根が並んでいるのに注目。この堂が明るく見えて目を遮る邪魔物がないのは、四周の杉の木が綺麗に切り払われていたからなのだ。
↓お堂の裏側。杉の伐痕が少なくとも8本並んでいる
↓お堂の向かって左側。やはり伐痕が並んでいる。
↓住職が住持する寺の雰囲気。すっきりしている。
↓寺から眺めた村の一部。すっきりしている。
〇重文観音堂は修復が成ったばかりと思え、茅葺屋根をはじめすべてがすっきりしていた。これを機会に観音堂を明るくすっきり拝観して貰うために四周の杉を思い切り伐り払ったと見える。英断。伐られた杉の木たちに対しては哀悼を。
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