2017年6月30日金曜日

〇6-25(日)長野市松代町「長国寺」重文「真田信之霊屋(たまや)及び表門」

〇長国寺は、沼田・上田・松代を領有した・真田信之を藩祖とする関ケ原勝ち組外様大名・真田藩の松代における菩提寺。信之は、徳川四天王の一人・本多平八郎の娘を正室にして生き残った。信之の父・昌幸と弟・幸村は言わずと知れた負け組。 
↓総門

 ↓本堂

 ↓本堂と庫裏(右)

 ↓庫裏を妻側から見る。左奥に本堂が見える
 ↓本堂の左に、観音堂(右)と坐禅堂が並ぶ
 ↓観音堂
 ↓坐禅堂

 ↓本堂裏の鐘楼
 ↓重文・真田信之霊屋・表門と廟堂。拝観料300円で柵内を案内してくれる

 ↓重文・表門

 ↓重文・霊屋


↓左甚五郎作と伝わる二羽の鶴

↑↓真田信弘霊屋および表門




 ↓霊屋のさらに奥の真田家墓地も案内してくれる
 ↓真田信之家14代の墓が全部揃って並んでいる

 ↓初代信之公の墓

 ↓真田幸村・同大助公の記念石碑まである。真田家に政治力がなければ許されるはずがない

 ↓信之公の父・真田昌幸公の記念碑まである

 〇長国寺に真田家の霊屋は、四代目までの分が建てられたそう。今並んで建っているのは、初代信之公と四代信弘公の霊屋。五代目以降は財政難で建立されなかったらしい。それでは2代目と3代目の霊屋はどうなったのか。説明によると、
 ↓本堂裏にある開山堂がいま修復中だが、これが3代目の霊屋だったが、長国寺が本堂を焼失した時期に移築されて本堂の代用を務めたそう。今は開山堂となっている


〇2代目の霊屋は信之公の霊屋と並んでいたが、松代町の別の寺院に移築されて本堂として現存しているらしい。ボクの推測では、財政難の折売却された

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