〇「正法寺は、源頼朝の幣礼使として来住した志水氏(高田市から改名)の菩提寺になったことに始まる。志水氏の娘お亀が徳川家康の側室となり、尾張藩祖義直公を産んだことにより寺領500石を有する寺勢となった。お亀は落飾して相応院と号し、没後当寺はその菩提寺となって尾張徳川家の庇護を受けた。」
↓中央やや上の大堂が大方丈・重文。その右側の大堂が本堂・重文。大方丈・本堂の前面に重文・唐門がある。京都府指定文化財に小方丈・書院・鐘楼がある。絵図を見ただけで大した寺院であることが分る。↓総門
↓何と公開日が月に二日ほどしかない。今日は非公開日
↓法雲殿。ここに重文絹本着色如来像(高麗時代)・同大集経、その他古文書が収納されているそう
↓重文・唐門
↓勝手口門
↓庫裏
↓庫裏の隣の式台(玄関)。式台の向こうの大屋根が大方丈・重文だろう
↓式台の向こうに唐門があり、その奥にある大屋根が重文・本堂だろう
↓勝手口門を入ると直ぐに鐘楼がある
〇これ以上ここでは拝観できないので次の目的地に移る
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