〇「社伝によれば本社の創立は奈良末期~平安初期といわれ、末社・随身門・神宮寺を伴っていたという。応仁年間(1467~69)蓮如上人が神宮寺の側に本宗寺を建て三河一向宗の拠点となった。永禄6年(1563)~7年の三河一向一揆の際、本宗寺とともに当社殿も消失し記録等は失われた。その後家康の命により、石川数正が八幡宮の再興にあたった伝えられている。現在の本殿は元和5年(1619)代官畔柳寿学(くろやなぎじゅがく)の再建である。‥‥」
〇神社は鬱蒼とした森の中にある↓拝殿
↓瑞垣
↓垣間見た本殿。本殿撮影は至難と思ったが、周辺をうろついてアングルを探ると‥あった。
〇重文・本殿
〇土呂八幡宮と上地八幡宮は距離で云えば近い所にある。が、鉄道が間に割って入っているので車で往来するとなると大きく迂回するしかない。遠い
0 件のコメント:
コメントを投稿