〇慈尊院は、空海の母が子の息災を念じてここに籠り生涯を終えた所である。高野山は女人禁制で母は登れなかった。空海は月に九度高野山を下りて母に会いに来たと言う。それでこの辺りを九度山というそう。
↓総門
〇築地塀は、天文9年(1540)の紀の川大洪水の時には既に築かれていたという。
↓大師堂・四国堂。本尊大師像の両脇に四国88箇所霊場の★が祀られているそう
↓架利母帝・鬼子母神堂
↓多宝塔
↓多宝塔の右手に大師堂が見える
↓大師堂から弥勒堂を見る
↓左・弥勒堂、右・拝堂
↓重要文化財・弥勒堂
弥勒堂・正面。中に国宝・弥勒佛像が坐っている。年数日間開帳される
↓おっぱい絵馬
↓左・拝堂、右・こんもりした林の陰に弥勒堂
↓拝堂
↓拝堂の左背後に多宝塔が見える
↓左・鐘楼、右・大師像とゴンの碑
↓大師像とゴンの碑
↓「高野山案内犬・ゴンの碑」 ゴンについては数奇な物語をせねばならない。ゴンはある日忽然と慈尊院に現れた。そして町石(ちょういし)道を登って高野山に参る旅人を案内しだした。旅人を振返り振返りして高野山大伽藍まで毎日案内したという。誰に教わった訳ではない。その行を十数年間毎日続けた。そして年老いて姿を消した。不思議な話ではないか。
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