2018年7月4日水曜日

〇《イザベラバード紀行》5-3(木)(1)小雨。南会津・下郷で「塔のへつり」「大内宿」観光、坂下(ばんげ)で「鳥追観音」「大山祇神社」参拝、阿賀市津川町でイザベラがそこで乗船した川港跡を探訪

〇朝8時に起き、8時半に出発。南会津の田島、下郷の町を経由して「塔のへつり」に到着。奇景。イザベラはここを訪れていないが折角だから寄ってみた。
〇下郷町から山また山を越えて大内宿に入った。ここでイザベラは一宿した。




〇大内宿から西会津の盆地に出るには山深い峠を越える。峠を下ると会津盆地が開ける。大平原。北東に磐梯山、西北遥か彼方に飯豊連峰が白雪を冠して浮かんでいる。西会津の坂下(ばんげ)に出る。坂下の旧市街を走ってみる。坂下は西会津の中心都市でかなり大きい町だが、国道バイパスに車・人の流れを奪われてすっかり寂れている。少し寄り道して鳥追観音と大山祇神社を再訪。






〇坂下から越後街道はずっと西会津の山道にかかり、イザペラにとって阿賀野川の河港のある津川に辿り着くまでの旅程は四苦八苦の連続だった。雨に降られた上に宿場が貧弱で馬・馬子の調達ができない。苦難の頂点は阿賀町宝坂(ほうさか)辺り。牛しかおらずその背にもたれた。ボクはわざわざ旧越後街道に入りイザベラバードが苦難に遭遇した街道現場を探し廻った。宝坂の在所はあった。山道・地形は思ったほど急峻ではない。
↓「旧越後街道 →白坂宿 ←川谷」
 ↓「西会津町宝坂 ここは白坂です」 小さな宿場で馬や馬子を余裕を持って配備する力はなかったかも知れない。
 ↓川谷(坂下方面)の旧越後街道
 ↓白坂宿。この先、道はほぼ消滅し、無理して進むと国道バイパスに合流する。
〇阿賀町津川で、イザベラは舟便を頼り一気に新潟まで下る予定であり実際そうした。その乗船箇所である河港の地に立ちたかった。ところが地元の人でさえもうかつて存在し、日本三大河港として盛名を博した津川の河港の事を知らない。舟便は意外に早くに途絶え、隆盛を誇った河港は三世代ほど前には廃港となったらしい。とある老人が「この川沿いの道を辿って行けば跡があるかも知れない」と言ってくれたのでとにかく歩き出した。細く頼り無い道だった。そのうち何やら河港跡だと思えばそうと見えないこともないという川べりに着いた。到底日本三大河港跡には見えない。津川の住人のほとんどがかつて河港があったことさえ知らないのも無理はない。
↓河港跡らしき所に辿り着く。



↓「日本の三大河港 岡山県旭川:千葉県利根川:新潟県阿賀野川」


↑↓古絵図に描いてある船着場がここらしい。「小野戸船着場」




    
  
  ↓小野戸船着場から数十m下流に行くと、もう一つの船着場があった。

↓「大船戸」河港跡
 〇イザベラバードの紀行文の一節が認められている。
《津川を出ると間もなく、川の流れは驚くべき山々にさえぎられてるように見えた。山塊はその岩の戸を少し開けて私たちを中に通し、また閉じてしまうようであった。露骨さのないキレーンであり廃墟のないライン川である。しかもそのいずれにもまさって美しい。》

 ↑↓古絵図の景色はここであろう。
  〇津川の街は、今日が「狐の嫁入り」行事の当日だった。嫁入り行列が街中を練り歩くそうで、その準備の真っ盛りだった。そのことは、次回に紹介する。


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