〇朝早く「道の駅豊栄(とよさか)」発。
↓JR中条(ちゅうじょう)駅到着。北上を続け胎内市を通過し村上市南端の「十字路」という交差点を右折。この交差点、これまで何度通過したことか。
〇荒川(あらいがわ)沿いに道は東進する。今は「小国街道」と呼ばれるのが普通だが、往時は「米沢街道」「越後街道」と呼ばれたらしい。この街道、今は国道バイパスで一足飛びに突っ切って山形盆地南端「上山(かみのやま)」に顔を出すが、往時は米沢盆地北端「小松」に抜けていた。街道の半分は今も昔も余り変わらず荒川の谷間の平野を行く楽な道。それが「鷹ノ巣」あたりから残り半分はその昔「十三峠越え」という難路中の難路を辿って行った。↓道の駅で十三峠の地図を発見。
国道バイパスに頼り切った今は、峠に至る旧道が焼失してしまっている箇所もある。
〇ボクがどうしても探訪したかったのが「黒沢」の在所。イザベラバードがこの集落を通過する時、酔っぱらった女がほとんど裸で家から出てきて無様に管を巻くあさましい姿を目撃したことを旅行記に綴っている。通訳の若者「伊藤」が見苦しい日本の辺境の農村の姿を彼女に見られて恥ずかしくなり盛んに弁解したという。その一節が印象的だったので、ボクは黒沢を訪ねてみたかった。
↓国道バイパスを離れて黒沢に入る。
↓左端の鉄道線に平行して走る道が国道バイパス。黒沢峠が現存することを知る。
黒沢峠へ
↓「黒沢峠 敷石道入口まで2.5km」
↓黒沢峠敷石道発掘を記念したお祭り広場に建てられた小屋
小屋の中に黒沢峠をアピールする赤旗が無造作に置いてある。この様子ではどうやらお祭り騒ぎは効果が余りなかったので気合が入らず今は中止になっていると見える。
↓「黒沢峠 この峠は越後米沢街道(十三峠)の黒沢峠です。現在の黒沢峠の長さは2.6kmであり、内1.8kmに敷石が敷かれ、その意思の数は3600段と言われています。敷石工事は天保10年(1839)から慶應3年(1867)にかけて行われ、36,800人を超える人夫を掛けた十三峠の悪路改修工事の一環です。米沢地方からは青苧、煙草等が越後に運ばれ、越後からは塩、塩魚、乾物等が牛馬や背負子で運ばれたようです。この峠を通った著名人として、直江兼続、五郎八姫、大愚良寛、西郷隆盛、原敬等が知られています。また、明治11年(1878)にこの峠を通ったイザベラバードは、集落やそこに住む人々の様子を詳しく日本奥地紀行に記しています。明治17年(1884)に小国新道が開通後、この峠を通る人はいなくなり長い間土に埋もれていましたが、昭和55年に黒沢峠敷石道保存会を設立し、峠道を還元しました。平成8年(1996)二は文化庁の「歴史の道百選」に選定され、『これほど美しく特徴ある街道は「歴史の道百選」の中でも唯一のものだ。‥』と紹介されています。
「座頭ころび」
↓黒沢峠を越えた反対側は今はダム湖の底に沈んで道は断絶している。
↓ダム湖に沿って造られた新道を行き、黒沢峠に続く「桜峠」に行く道の入口「市野々」まで来た。
↓ところが桜峠に登る道は通行止め
↓仕方なく一旦国道に戻り桜峠の反対側の「白子沢」に行く。「桜川」は「桜峠」から流れてきているに違いない。以下、白子沢
↓桜峠を下って来ると白子沢のここに来るのだが、
やはり通行止め。車で桜峠を目指すのは無理ということ。
↓「宇津トンネル」。このトンネルが出来る前は「宇津峠」を越えていた。
↓宇津トンネルの手前の山だが、崖の上に旧道が見えている。
昔は宇津峠を越えると「手ノ子」に出た。
イザベラ・バードは「松原」を通り、最後の峠の「諏訪峠」を越えて米沢盆地の北端「小松」に出た。苦難の十三峠越えがようやく終わった。
↓「諏訪峠」の名は、峠を越えた米沢盆地側にあるこの神社の名に由来する。鳥居の掲額に「正一位諏訪神社」とある。
↓JR羽前小松駅
〇ここから北上し「上山温泉」、山形市に向かう。
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