今夜は妻へのメールを書いたので、それをブログに代用。悪しからず。疲れたのです。
「御無沙汰してますが、そちらは相変わらず元気だろうと特に心配していません。ボクの方はこなした旅程を見て貰えば分ると思います。一日目(火)長岡・栃尾。二日目(水)只見・西会津・会津若松・喜多方。三日目(木)米沢盆地・天童・村山。四日目(金)舟形(尾花沢と新庄の間)・一関・奥州(旧水沢)・東北道「PA北上金ヶ崎」。五日目(土)盛岡「小岩井農場」・岩手県「一戸町」。六日目(日、今日)「二戸」から「九戸」まで探訪して八戸市南端の道の駅「階上はしかみ」に宿泊。明日から帰路に就きます。明日はもう13日(月)です。まさに光陰矢の如し。二日ぐらいかけて帰れば丁度かなと思っています。無事に帰り着くことを最優先課題とします。お休みなさい。」
追伸「旅先での事件と言えば、二日目西会津の道の駅で虻に食われて指が一本丸二日間曲がらなかったことと、会津若松の飯盛山で白虎隊士の墓に参り自決した場所に降りた時に土砂降りに遭いデジカメをフイにしたことでしょうか。感動したことは、二日目の夕、喜多方の田舎の熊野神社でお目にかかった「長床(ながとこ)」(拝殿)の古く雄大で神がかった姿と(国宝級です)、五日目の朝「小岩井農場」で見た芝生の緑と森の黒そして遠景の岩手山の青が織り成す美しい絵を見れたことと、明治大正期の木造牛舎(上丸牛舎、一式が重要文化財)をそのままに今も日々営まれる酪農に貫かれる牧歌的精神に触れられたことです。宮沢賢治がこの農場を愛した理由が分ッたような気がします。岩手県北端から青森県東部にかけて一戸から九戸の地名を背負い続けてきた不思議な地域が存在して来た不思議さもその謎が解けかけたような気がします。耳を貸してくれれば解説を試みるつもりです。」
追伸「旅先での事件と言えば、二日目西会津の道の駅で虻に食われて指が一本丸二日間曲がらなかったことと、会津若松の飯盛山で白虎隊士の墓に参り自決した場所に降りた時に土砂降りに遭いデジカメをフイにしたことでしょうか。感動したことは、二日目の夕、喜多方の田舎の熊野神社でお目にかかった「長床(ながとこ)」(拝殿)の古く雄大で神がかった姿と(国宝級です)、五日目の朝「小岩井農場」で見た芝生の緑と森の黒そして遠景の岩手山の青が織り成す美しい絵を見れたことと、明治大正期の木造牛舎(上丸牛舎、一式が重要文化財)をそのままに今も日々営まれる酪農に貫かれる牧歌的精神に触れられたことです。宮沢賢治がこの農場を愛した理由が分ッたような気がします。岩手県北端から青森県東部にかけて一戸から九戸の地名を背負い続けてきた不思議な地域が存在して来た不思議さもその謎が解けかけたような気がします。耳を貸してくれれば解説を試みるつもりです。」
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