2018年9月21日金曜日

〇敬老の日の連休のときの旅の痕跡を留めておく。吉野と伊勢路で古代史を紐解く。

9-14()雨。不慮の事故(人災)で前進できず。
9-15()雨・曇。奈良県吉野地方にある①丹生川上神社中社、②丹生川上神社上社、③丹生川上神社下社を目指したが、下道を走ったら時間を食ってとても探訪できそうもない。ので甲賀の奥里の「大鳥神社」「油日(あぶらひ)神社」に久し振りに寄った。櫟野寺(らくやじ)も近いのでついでに訪れれば三点セットとなって好かったが、この寺は何度も火を出して焼失しているので堂塔伽藍に見るべきものがないので寄らなかった。しかし仏像(平安仏)は凄い。重文が20体ほどもある。以前榛原(はいばら)からその南の菟田野(うたの)を走ったとき参拝し損なって悔やんだ「八咫烏(やたがらす)神社」に着いたので参拝。昔本殿は石製だったらしいが(だから小さかったろう)今は木造朱塗の春日造りの本殿。午後5時「道の駅宇陀路大宇陀」に到着。ここも何度もお世話になっている。
9-16()早朝から走り回って①~③の神社に参る。いずれも官幣大社(格は国幣大社の上)。それぞれ2030km離れている。いずれも水神を祀る。古代には朝廷から95回も勅願を受けて雨乞い・雨止みの祈願をしたという。ところが吉野の道無き山奥に鎮座していたため平安中期には何処に鎮座しているのか分らなくなったそう。明治時代に探索が行われ先ず今の下社が吉野下市で発見され丹生川上神社と称された。次に今の上社も川上村で発見されて丹生川上神社上社と称され、下市で発見された神社は下社と称されるようになった。その後これぞ丹生川上神社と目される神社が東吉野村で発見され丹生川上神社中社と称されるようになった。こうして三社とも官幣大社に列せられた。三社を探訪した後伊勢市まで脚を延ばし伊勢鳥羽スカイラインに入り(料金1250)朝熊山上の「金剛証寺」を訪れる。いつの頃からか伊勢神宮の東の鬼門を鎮める寺となった(京都の北東の鬼門を鎮護する比叡山延暦寺の如し)。古刹大寺。この夜は二見が浦で当てにしていた公園の駐車場が満杯で仕方なく伊勢道に入り「多気(たき)P」に入り込んで寝た。尾鷲方面と松坂方面に別れるJCTの手前。
9-17(月・敬老の日)松阪ICで下りて次の神社を探訪。①松阪市井口仲町「神麻続機殿(かんおみはたどの)神社」。②松阪市大垣内町「神服部機殿(かんはとりはたどの)神社」。③伊勢市二見町荘「御塩殿(みしおどの)神社」。いずれも伊勢神宮庁所管神社。祭神はおられぬ。その役割は読んだ名前の通り。伊勢神宮に麻織物・絹織物・塩を奉納する。①②の所在地は伊勢市二見町の隣。いずれの神社も平野の中に鬱蒼とした森に抱かれて存在しており遠目からそれと分る。④斎宮の森・遺跡・博物館を三重県明和町に探訪。伊勢市に近い。天皇の皇女が斎王として伊勢神宮に奉仕するために住まわれた斎宮は最盛期には官人が500名も仕えていたそうだが、平安時代に既に衰退し鎌倉時代には廃絶されたという。斎王が伊勢神宮に赴いて奉仕するのは年に僅か3回だったそう。帰路、懼れた通り東名阪道は渋滞の表示。初めてのことだが亀山から新名神道に入り草津JCTで名神道に入り更に米原JCTで北陸道に入って帰って来た。渋滞に遭わなかった。19時半帰宅。

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