2018年11月9日金曜日

〇14-8-13(水)《奥の細道紀行》白河市「二所の関址」

曾良随行日記》『(4)21日 霧雨降る、辰の上剋(午前7時過ぎ)止む。(旗宿)宿を出る。町より西の方に住吉・玉嶋を一所に祝奉する宮有り。古の関の明神故に二所の関の名有るの由、宿の主申すに依りて参詣』
↓「白河二所の関址碑」


 ↑「白河二所の関址 白河の関は古くから二所の関と呼ばれ〇溝準平原の中を横断する奥州路はここで道を幾〇にも選べるのである。白河楽翁により指定された今の旗宿道は其の一本である。然しこれより西側三〇四〇所を通っている白坂道は昔からよく利用され古の関蹟にみられる関の男女の明神社があり古関の体裁をもっともよく保ちながら白坂の関址は全く無視されて来た。余、多年関境の研究に没頭し江戸時代よりの関守の家である石井浩然(南部藩士で故あって南部藩の参勤交代路にあたる白河の関守となった石井七兵衛の子孫)と其の考証に當たり遂にその関屋跡を確認することが出来た。茲に白河二所の関址立証を機とし白坂道白河関址に記念碑を建立し永く白河二所の関の意を伝承せんとするものである」

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