24日 ‥昼過ぎより可伸庵にて会有り。会席、そば切』
《奥の細道》《此の宿の傍に大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧(★註1)有り。橡(とち)ひろふ太山(みやま)(★註2)もかくやと閒(しづか)に覚えられて、ものに書付侍る。其の詞(ことば)、
栗といふ文字(もんじ)は、西の木と書きて、西方浄土に便りありと、行基菩薩の、一生、杖にも柱にも此の木を用ひ給ふとかや。
世の人の見付ぬ花や軒の栗 》
★註1 僧の俳号が「可伸」。
★註2 西行の「山深み岩にしただる水とめむ かつがつ落つる橡拾ふほど」に拠る。
↓「可伸庵跡」
↑「軒の栗(可伸庵跡) 芭蕉は元禄二年陰暦四月十二日に須賀川を訪れ相楽等窮宅に滞在した。この可伸庵を訪ねて、この宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのんで世をいとう僧あり、「世の人の見付ぬ花や軒の栗」と「奥の細道」に書き留めている。‥‥」
↓「奥の細道 軒の栗・可伸庵跡」
↓まだ青い栗のいが付き実が、誰の手だかチョコンと石に載せてある。カワイイ。↓奥の細道・軒の栗の段の石碑
↓芭蕉句碑
《世の人のみつけぬ花や軒の栗》
↓左に青いイガの載った石と奥の細道石碑。右の白い建物の手前に可伸庵跡休憩所
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