『曾良随行日記』『(五月)二日 快晴。福嶋を出る。‥‥阿武隈川を舟にて越す。岡部の渡りと云う。それより十七八丁、山の方へ行きて、谷あひ(合)にモジズリ(文字摺り)石あり。柵ふり(古)て有り。草(茅葺)の観音堂有り。杉檜六七本有り。‥‥』
〇福島宿を過ぎて
↓「文字摺観音」に着いた。すぐ向かいに信夫山が横たわっている。ここに、芭蕉が探訪にこだわった「信夫文字摺石」がある。この地は歌枕だった。
↓松尾芭蕉の銅像
みちのくの忍ぶもぢずり誰ゆえにみだれそめにし我ならなくに
公の歌が使いの手で寄せられたのは、ちょうどこの時でした。もぢずり石を、一名「鏡石」といわれるのは、このためだと伝えられています」
『曾良随行日記』『‥‥(信夫の里に)虎が清水と云う小さく浅き水有り』と記しているが、虎女伝説にゆかりの古蹟だろう。
★この清水跡については、現地を見分して報告したい。
↓文字摺石。石の表を下にして臥しているという。下になって隠れた表には文字文様があり、昔の人はその文様に布地を当ててその上から色を付けた藁等で擦って文様を写し取った染め布を作ったらしい。さしずめ信夫文字摺りというブランド。
↓文字摺石。石の表を下にして臥しているという。下になって隠れた表には文字文様があり、昔の人はその文様に布地を当ててその上から色を付けた藁等で擦って文様を写し取った染め布を作ったらしい。さしずめ信夫文字摺りというブランド。
↓河原左大臣(源融公)詠歌碑
↓正岡子規句碑 《涼しさの昔をかたれ しのぶずり》
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