《奥の細道》《(信夫の里から)月の輪の渡しを越えて、瀬の上と云う宿に出ず。佐藤庄司が旧跡は‥‥》
『曾良随行日記』『(五月)二日 快晴。福嶋を出る。‥‥アブクマ川を舟にて越す。岡部の渡りと云う。‥‥谷あひ(合)にモジズリ(文字摺り)石あり。‥‥瀬のウヱ(上)へ出るには、月の輪の渡りと云いて、岡部の渡りより下也。それを渡れば14,5丁にて瀬のウヱ也。‥‥』
〇芭蕉と曾良は、文字摺石を見るために阿武隈川を石の近くの「岡部の渡り」で渡った。石の見物の後、二人は下流の「月の輪の渡り」で阿武隈川を渡り返して瀬上(せのうえ)に出た。
★両渡りの記事は、実地見分を終えてからのことに。
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