1748年(延享5年)建立で風化している。
《雲折々人を休める月見かな 芭蕉》
(月見をしていると月に見とれてしまい、我を忘れるが、時々月が雲に隠れた時に一息つくことができる)
〇西行の歌 《なかなかに時々雲のかかるこそ 月をもてなすかざりなりけり》を踏まえて作られているそう。
↓「松尾芭蕉句碑 ‥(上記の句とそれが西行の歌を踏まえていることが書かれ)‥
芭蕉の墓は義仲寺(ぎちゅうじ、滋賀県大津市)にあるが、義仲寺に詣でることができない蕉門の俳人等が各地に芭蕉の供養碑を建立した。この碑もその一つとして芭蕉が訪れた日和山に建てられたものと推定される。芭蕉の供養碑を収録した『諸国翁墳記』には「月見塚」として掲載されている。碑の上部中心に「芭蕉翁」、その下に三行分かち書きで句が刻まれている。碑文によれば、1748年(延享5)3月に雲裡坊(うんりぼう)門人等により建立された碑である。雲裡坊は、尾張出身の俳人で、蕉門十哲の一人各務支考(かがみしこう)の弟子である。1741年頃仙台に招かれ滞在し門人をようせいしていた。その後、1743年には、義仲寺の無名庵5世となっている」
↓山頂に建つ芭蕉と曾良の銅像。おくのほそみち紀行300年記念
0 件のコメント:
コメントを投稿