《曾良随行日記》には『‥‥経堂ハ別当留守ニテ不開‥‥』とある。
経蔵は果たして開いたのか、開かなかったのか。《奥の細道》は芭蕉の文学的創作(虚構)が随所に見られる。ここでも『曾良随行日記』の記述が真実と考えたいところだが、曾良随行日記は光堂に関して『光堂(金色堂、別当案内)』と書いている。「別当留守にて」と『別当案内』は同日同刻の事態としては矛盾している。経蔵は開いたのか、開かなかったのか、結論は保留。
↓「重要文化財・中尊寺経蔵 創建時の古材を用いて再建されたものであり、堂内には平安時代の彩色文様が確認できる。国内最古の保安3年(1122)棟札が伝えられる。本尊の騎師文殊菩薩と四眷属像(重文)、堂内具(国宝)、紺紙金字一切経(国宝)等の経典類は、現在讃衡蔵に安置・収蔵されている」
新緑の中に佇む経蔵の姿は美しい。金色堂と旧覆堂の中間に建つ
↓騎師文殊菩薩像
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