2019年11月8日金曜日

★奥の細道紀行 第164-1章 山形県荘内町「清川水駅船番所跡」芭蕉上陸地

曾良随行日記』 『‥‥(元合海で乗船)‥‥古口で舟継ギテ、三里半、清川ニ至ル。‥‥平七より状添える方ノ名忘れタリ。状不ㇾ添シテ番所有りテ、船ヨリアゲズ。‥‥』
〇清川に水駅船番所があった。出手形が必要だったが、それが不備だったので役人がなかなか船から陸に上げてくれなかった。が、結局上がった。
 ↑↓ 赤丸印がJR陸羽西線・清川駅。下方支流の合流点付近に船番所(関所)があった。芭蕉と曾良はここから上陸。
〇幕末の志士・清河八郎の生誕地があり、清河神社・清河八郎記念館がある。
 ↓「芭蕉上陸之地」碑

↓ここは、荘内藩関所跡 最上川舟運の宿駅として栄えた清川に荘内藩が設けた関所跡で、往時の井戸枠が残っている
↓「松尾芭蕉と清川 俳聖芭蕉は、元禄2年(1689年)6月3日、本合海よりこの地に上陸し、狩川を通って羽黒に向いました。「五月雨を集めて早し最上川」 この名句は、その舟の中で作ったものといわれています。清川は往時、最上川の水駅として栄え、この地に清川関所がありました。その当時を偲ぶものは、榎の古木と隣の井戸だけになってしまいました」
↓この地図の右端に「本合海」、中央に「清川神社」「清川関所跡」。「清川」の真下に「羽黒山」。羽黒山の真下に「月山、湯殿山」。本合海と清川関所跡の間に、右から「仙人堂」、「白糸の滝」、そして白糸の滝のやや左下に「板敷山」
 ↓ 右下「清川史跡・清川関所跡、芭蕉・荘内上陸地」
   左上「五月雨を阿つめて早し最上川 芭蕉」
 ↓左・水駅関所跡碑と芭蕉上陸地碑。右・芭蕉銅像。背後は廃校(小学校)

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