2019年11月11日月曜日

★奥の細道紀行 第168章 鶴岡市「羽黒山表参道登山2010-5-5」「出羽三山神社」

奥の細道》《六月三日、羽黒山に登る図司左吉(俳号呂丸)と云者を尋て、別当代 会覚阿闍梨に謁す。南谷の別院に舎(やど)して、憐愍の情こまやかにあるじせらる。
四日、本坊に をゐて俳諧興行。
  《有難や雪をかほらす南谷
五日、権現に詣。当山開闢能除大師は、いづれの代の人と云事を知らず。延喜式に「羽州里山の神社」と有。書写、「黒」の字を「里山」となせるにや。「羽州黒山」を中略して「羽黒山」と云にや。出羽といへるは、「鳥の毛羽を此国の貢に献る」と風土記(★註1)に侍とやらん。月山、湯殿を合て三山とす。当寺武江(武蔵国江戸)東叡(寛永寺)に属して、天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人貴且恐る。繁栄長にして、めで度御山と謂つべし。》
★註1 出羽国風土記は存在しない。芭蕉の文学的創作文章らしい
曾良随行日記』『羽黒手向荒町。申ノ刻、近藤左吉ノ宅ニ着。本坊ヨリ帰リテ会ス。本坊若王寺別当執行代和交院へ、大石田平右衛門 より状レ添。露丸子へ渡。本坊へ持参、再帰テ、南谷へ同道。祓川ノ辺 よりクラク成。本坊ノ院居所也。
○四日 天気吉。昼時、本坊へ蕎麦切ニテ 被レ招、会覚ニ謁ス。并南部殿御代参ノ僧浄教院・江州円入ニ会ス。俳、表計(おもてばかり)ニテ帰ル。三日ノ夜、稀有観修坊釣雪(★註2)逢、互ニ泣第(涕泣)ス。
○五日 朝ノ間、小雨ス。昼ヨリ晴ル。昼迄断食シテ註連(しめ)カク(掛く)。夕飯過テ、先、羽黒ノ神前ニ詣。帰、俳、一折ニミチヌ。
★註2 名古屋の俳人大橋ちょうせつ。芭蕉の俳友。偶然、羽黒山に滞在中だった。ここでも世間は狭いことを実感
〇羽黒山でボクの探訪目的は二つあった。一つは山頂の「出羽三山神社」。もう一つは石段登りの途中から右手の谷に入っていく「南谷」。この南谷にあった別院に、芭蕉と曾良は六泊している。六月三日~五日と七日~九日。中間の六日は、月山山頂付近の小屋で泊っているから驚く。南谷に入るためにボクは表参道を登った。石段道で2446段ある。一の坂から三の坂まであり、各坂の段数はほぼ等しい。二の坂の半ばに力餅三の坂茶屋があり、ボクは息が切れて(貧血症)力尽きたのでそこで休憩した。訊くと、南谷は三の坂に入って直ぐだそう。
2010-5-5表参道(石段)登頂
↓鶴岡市から羽黒山を目指すと大鳥居が待つ



 ↓随身門。廃仏毀釈前は「仁王門」であり、二体の仁王が護っていた


 ↓随身門を潜ると下りの石段が待つ

 ↓祓川

 ↓〇〇滝
 ↓爺杉


 〇国宝・五重塔







 ↓2465段の石段の始まり。一の坂から三の坂まである





 ↓二の坂にやっと着いた

 ↓二の坂と三の坂の中間に〇〇茶屋があって一服した。一息入れて見た新緑の美しかったこと
 ↓芭蕉塚があった







 ↓いよいよ三の坂







 ↓羽黒山斎館旧華蔵院


 ↓表参道鳥居が見えてきた。いよいよ出羽三山神社本殿境内に入る

 ↓「羽黒山」

 〇「蜂子社」。変な名だが、最重要の摂社

 ↓祭祀所跡


 ↓出羽三山神社本殿


 〇芭蕉銅像
 ↓出羽三山句碑
 ↓天宥社

 ↓摂末社




  



 ↓羽黒山東照宮



 ↓東照宮摂末社
 ↓裏参道(車登山道)の鳥居

 〇鐘楼。神社に鐘楼は本来変。修験道神社寺院の名残






 〇出羽三山神社拝殿本殿
 本殿前の鏡池





 ↓三神合斎殿







 ↓拝殿・本殿を側面から見る






 ↓鏡池に写った拝殿本殿





 本殿側面
 ↓本殿背後から斎館に繋がっている





 ↓再た表参道石段を下る

 ↓芭蕉が滞在した南谷へ行く道
 ↓途中の名物力餅二の坂茶屋





 ↓随身門の外に出ると、立派な神社を護持する宿坊・神林勝金がある



 〇羽黒山を望む

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