あつみ山や吹浦(ふくうら)かけて夕すゞみ
暑き日を海に入れたり最上川 》
暑き日を海に入れたり最上川 》
『曾良随行日記』『十三日 川船ニテ坂田ニ趣。船ノ上七里也。陸五里成ト。出船ノ砌、羽黒 より飛脚、旅行ノ帳面
被レ調、被レ遣。又、ゆかた二ツ
被レ贈。亦、発句共も被レ為見。船中少シ雨降テ止。申ノ刻
より曇。暮ニ及テ、坂田ニ着。①玄順亭へ音信、留主ニテ、明朝逢。
○十四日 ②寺島彦助亭(★註2)へ 被レ招。俳有。夜ニ入帰ル。暑甚シ。
○十五日 象潟へ趣。』
★註1 「淵庵不玉と云ふ医師」。本名伊東玄順、医号淵庵、俳号不玉。「不玉宅址」。酒田市役所の向(大通りを挟む)、中町一丁目11ノ4、今・佐藤歯科医院。芭蕉と「三吟」の歌仙が巻かれた。《温海山や吹浦かけて夕涼み》が発句。不玉は、奥の細道の旅をしてきた芭蕉とこの時初めて会い、親交を深め門人となったという
★註2 寺島彦助亭は今「安種亭令道・寺島彦助宅跡」。「寺島彦助亭ヘ被招、俳有り」の亭跡。《涼しさや海に入りたる最上川》の発句で始まる歌仙が巻かれた。
↓酒田市役所前交差点。市役所向かいに「奥の細道・不玉宅跡」の案内標識が立っている。向いの通りを入って行くと、
緑の植木が見える。
↓植木の中、遂に不玉宅跡石碑を発見。
「不玉宅跡」
↓「芭蕉遺跡・不玉亭 元禄二年(1689)の夏、芭蕉と曾良が訪れた伊東玄順(俳号不玉)宅跡である。象潟行の前後を通じ九泊した「奥の細道」ゆかりの地であり、この間翁は左の名句を残した。不玉の墓は妙法寺に再建されている。
暑き日を海に入れたり最上川温海山(あつみやま)や吹うらかけてゆふ涼(すずみ)
初真桑(まくわ瓜)四(よん)にや断(たた)ン輪に切(きら)ン
〇芭蕉と曾良は象潟からまた酒田に戻る。それから酒田で不玉宅に七泊して、地元俳人らと句吟三昧の日々を過ごした。
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