2019年11月21日木曜日

★奥の細道紀行 第185章 ⑤「今野加兵衛宅跡」⑨「今野又左衛門宅跡」

曾良随行日記』『〇十六日‥‥昼ニ及テ塩越(象潟)ニ着。‥‥向屋ヲ借リテ宿ス。先、④象潟橋迄行而、雨暮気色ヲミル。⑤今野加兵へ()、折々来テ被レ訪。
十七日‥‥(能登屋で)夕飯過テ、潟へ船ニテ出ル。⑤(今野)加兵衛、茶・酒・菓子等持参ス。帰テ夜ニ入、⑥今野又左衛門入来。象潟縁起等ノ絶タルヲ歎ク。翁諾ス。‥‥
今野又左衛門の家跡発見
 ↓「奥の細道・今野(読みは「こんの」ではないか)又左衛門の家
芭蕉主従が元禄2年(1689)6月16日(陽暦8月1日)から象潟に2泊3日の滞在中、実弟嘉兵衛をつかわし、心から丁重にもてなした象潟(当時は塩越村)の名主今野又左衛門(その子孫は現在「金」姓←多分「こん」と読む)の家である。17日の夜には宿の能登屋を訪ねて、芭蕉主従に象潟の由来や伝説などをいろいろ語っている。」

今野嘉兵衛の家跡
 ↓「奥の細道・今野嘉兵衛の家
「曾良随行日記」には今野加兵衛(実際は金嘉兵衛)が象潟滞在中の芭蕉主従を時々訪ねて世話をしたとある。嘉兵衛は名主の金又左衛門の実弟であり、又左衛門が祭りで忙しかったため、名代で芭蕉主従をもてなしたのである。当時、嘉兵衛の家があったこの場所は又左衛門の屋敷内であり、現在は嘉兵衛の直系の子孫が住んでいる。」

 ↓嘉兵衛さんの家跡前から写している。突き当たりの森の所で右折すると、数百米ほどのうちに、今野又左衛門宅跡、熊野神社、象潟橋が順に並んでいる。

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