2019年11月20日水曜日

★奥の細道紀行 第188章 象潟⑦「熊野権現社」

曾良随行日記『○十六日‥‥昼ニ及テ塩越(象潟)ニ着。佐々木孫左衛門(能登屋)尋テ休。衣類借リテ濡衣干ス。ウドン喰。所ノ祭(在所の祭)ニ付 而女客有ニ因テ、向屋ヲ借リテ宿ス。‥‥
十七日 朝、小雨。昼ヨリ止テ日照。朝飯後、皇宮山蚶 彌(満)寺へ行。道々眺望ス。帰テ所ノ祭(神輿)渡ル。(神輿が)過テ、熊野権現ノ社へ行、躍等ヲ見ル。夕飯過テ、潟へ船ニテ出ル‥‥』
〇象潟に着き能登屋に泊まろうとしたが、「所の祭」で女客があるため向かいの「向屋」に泊めてもらうことに。翌日は「能登屋」に泊まった。「向屋」は、向屋という屋号なのか、向かいの家の意味なのか定かでない。
〇「所の祭」 象潟橋からほど近い「熊野権現の社熊野神社」の祭礼だと解釈されている。


 ↓「‥‥。元禄2年(1689)6月16日(現暦8月1日)は松尾芭蕉が象潟に到着した日ですが、この日がたまたまこの神社の祭礼の日でした。曾良日記には祭りで宿が女客でいっぱいであったため「向屋」に泊まったと記され、この祭りに関しての一句は
象潟や料理何くふ神祭(曾良)
(象潟では祭礼の日は魚を食うことが禁忌だったので、一体今日は何を食うのだろうと、曾良は思った)
というものでした。‥‥」
石段を昇った境内
 ↓高台にある熊野神社の境内からボクのセレナ(水色)が見える。セレナの後ろに舟繋ぎ石がある(見えている)。更に後方に赤い象潟橋が架かっている。
 拝殿
 左・幣殿、その後ろ中央・本殿。

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