《奥の細道》『酒田の余波(なごり)日を重ねて、北陸道の雲に望む。遥々(はるばる)のおもひ、胸をいたましめて、加賀の府まで百卅里と聞く。‥‥』
『曾良随行日記』によって七泊の日程の概要が知れる。芭蕉は俳友との交友を重ねた
『〇十八日‥‥暮ニ及テ、酒田ニ着。
『曾良随行日記』によって七泊の日程の概要が知れる。芭蕉は俳友との交友を重ねた
『〇十八日‥‥暮ニ及テ、酒田ニ着。
○十九日 快晴。三吟始。明廿日、寺嶋彦助江戸へ被レ趣ニ因テ状認。翁より杉風、又鳴海寂照・越人へ被レ遣。予、杉風・深川長政へ遣ス。
○廿日 快晴。三吟。
○廿一日 快晴。夕方曇。夜ニ入、村雨シテ止。三吟終。
○廿二日 曇。夕方晴。
○廿三日 晴。近江 や(屋)三良(郎)兵へ(衛)へ 被レ招。夜ニ入、即興ノ発句有。
廿四日 朝晴。夕ヨリ夜半迄雨降ル 。』
廿四日 朝晴。夕ヨリ夜半迄雨降ル 。』
〇↓「玉志・近江屋三郎兵衛宅跡」
ここで連句の会が催され有名な「初真桑」の歌仙が巻かれた。その芭蕉真筆の懐紙が酒田の本間美術館に保存されているという。それで、本間美術館に行ってみた。確かに展示されていた。が、市指定文化財に留まる。市指定という点にボクのこだわりが残った。果たして真筆なのか。
↓「玉志近江屋三郎兵衛宅跡」
ここで連句の会が催され有名な「初真桑」の歌仙が巻かれた。その芭蕉真筆の懐紙が酒田の本間美術館に保存されているという。それで、本間美術館に行ってみた。確かに展示されていた。が、市指定文化財に留まる。市指定という点にボクのこだわりが残った。果たして真筆なのか。
↓玉志・近江屋三郎兵衛宅は、現在の荘内証券の建物の前・角にあった。酒田市街地の真ん中
↓「玉志近江屋三郎兵衛宅跡」
↓酒田湊日和山公園の芭蕉文学石碑
↑↓「松尾芭蕉 あふみや玉志亭にして、納涼の佳興に瓜をもてなして発句をこふて曰く、句なきものは喰事あたはしと戯れけれは
初真桑四にや断ん輪に切ん はせを
初瓜やかふり廻しをおもい出つ ソ良
三人の中に翁や初真桑 不玉
興にめててこゝろもとなし瓜の味 玉志
元禄二年晩夏末
芭蕉が酒田在中の元禄二年(1689)6月23日、市内のあふみやに招かれて、即興の発句会を催した時の作で、芭蕉が懐紙に残しており、本間美術館に保存されている。」
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