『曾良随行日記』 『〇廿六日 晴。大山ヲ立つ。‥‥。大山より三瀬(さんぜ)ヘ三里十六丁、難所也。三瀬より温海(あつみ)ヘ三リ(里)半。此の内‥‥色々ノ岩組景地有り。未の剋(ひつじのこく、午後二時)、温海(あつみ)に着く。鈴木所左衛門宅に宿。弥三良添レ状有。少手前 より小雨ス。及レ暮、大雨。夜中、不レ止。』
↓浜温海宿の現代の街並。左端に「奥の細道・芭蕉宿泊の家」の記念碑が建っている。
↓↑「奥の細道・芭蕉宿泊の家」
↓「‥‥。二人は出羽路最後の宿、鈴木所左ヱ門(正確には惣左ヱ門)宅に一泊。‥‥。翌日は二人がいよいよ出羽路と決別する日である。‥‥。芭蕉は、馬で鼠ヶ関に向かった、関所の跡に立ち、往時をしのんだことだろう。一方、曾良は湯本を見聞、折り返して、芭蕉の後を追い、越後国の中村(旧山北町)で落ち合った。‥‥」
↓「鈴木所左衛門」→(多分)子孫「鈴木惣左ヱ門」
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