2019年12月14日土曜日

★奥の細道紀行 第213章 新発田市築地《築地宿}(芭蕉一宿の地)

曾良随行日記『七月朔日 ‥‥巳ノ尅(みのこく・午前10時)、村上ヲ立。午ノ下尅(うまのげこく・午後12時半頃)、乙村ニ至ル。次作ヲ尋、甚持賞ス。乙宝寺へ同道、帰 而つゐ地(築地)、息・次市良(じいちろう)方へ状添(そえて)遣ス。乙宝寺参詣前・大雨ス。即刻・止(やむ)。申ノ上尅(さるのじょうこく・午後3時半頃)、雨降出。及暮、つゐ地(築地)村・次市良へ着、宿。‥‥』
〇芭蕉と曾良は築地宿の次市郎方で一宿した
↓この県道が、芭蕉が通った街道にほぼ当ろう。築地村の外れ。

 ↓乙村から来たことを示す。
 ↓築地という字名の交差点。ここが芭蕉の宿泊した築地宿の中心だったろう。「次市良(郎)」方が何処にあったかは分らない。


(参考)築地から新潟までの水路の様子←リンク先http://www.ne.jp/asahi/m.mashio/homepage/okuhoso-47.html
現在の地勢では、築地から新潟まで水路が通じていたことなどは想像できないのだが、「正保越後国絵図」にその様子が描かれている。築地には塩津潟があり、その先に鳥見前潟、福島潟などがあり、それらを結んで水路が開かれている。新潟付近では阿賀野川と信濃川が合流し、大きな河口を形成している。これらの水路をたどってゆけば築地から新潟まで船便で到達することができた。(下図は「奥の細道の旅」杉原恭男、杉田美登著より転載

0 件のコメント:

コメントを投稿