『曽良随行日記』『〇五日 至ニ柏崎一ニ、天や弥惣兵衛へ弥三良状届、宿ナド云付ルトイヘドモ、不快シテ出ヅ。道迄両度人走テ止、不止シテ出。小雨折々降ル。申ノ下尅(さるのげこく、夏至の頃なので午後6時頃)、至鉢崎 。宿たわらや六郎兵衛。』
〇芭蕉は柏崎の天屋で不快な扱いを受けて立腹して飛び出し、天屋の手の者が止めるのも聞かず次の宿場・鉢崎宿まで歩き通した。たわら屋に宿を取ったのは午後六時近くだった(当時は、宿場に入るのは未の下刻か申の刻(午後4時前後)が普通だった。現代感覚では少し早いような気がするが、昔は次の宿場で宿が取れるとは限らず(満杯、公的差し障り等)そうなると夜道をさらに次の宿場を目指すことになり大変なので早目に草鞋を脱いだ。その代り朝の出立は早かった。この日歩き過ぎて到着も遅れて疲れが取れなかったと見えて、芭蕉と曾良は翌日の出発を昼すぎに遅らせた。尤も翌日の行程は船路で今町(現・直江津)までだったのでそれを見越してのことだったかも。
↓鉢崎関所直前の岬の山から見た鉢崎宿の現在
鉢崎郵便局
旧JR信越本線・米山駅。鉢崎にある
〇「たわら屋跡」があるかなと思って周っていると、らしきものが見えた。
↓「芭蕉奥の細道紀行 たわら屋跡 柏崎市」
「たわら屋跡」観光案内板
↓たわら屋前から旧鉢崎宿を、上越市(今町)方面に向かって望む
↓たわら屋前から関所・柏崎方面を望む
芭蕉と曾良の痕跡を生々しく嗅ぐことができて、快哉。
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