2019年12月4日水曜日

★奥の細道紀行 第201章 鶴岡市「温海温泉」(曾良の立ち寄り先)

曾良随行日記』 『○廿七日 雨止。温海立。翁ハ馬ニテ直ニ鼠ケ関 被レ趣。予ハ湯本へ立寄、見物シテ行。半道計(はんみち・ばかり)ノ山ノ奥也。今日も折々小雨ス。及レ暮、中村ニ宿ス。』
〇温海宿と中村宿(現北中)間の、芭蕉と曾良が辿った旅路ははっきりしない。芭蕉が馬で海岸沿いに南下して鼠ヶ関まで辿ったことと、曾良が湯温海の湯元を見るため東方の山奥に入ったことは、曾良随行日記で明らか。問題は芭蕉については、鼠ヶ関から先、旧出羽街道を辿って山中に入って東行し「小俣宿」を経由して今度は南下して中村宿に出たのかということ。曾良については、温海温泉湯本から山中を南下して小俣宿に至りさらに山中を南下して中村宿に出たのか、それとも湯元から、来た道を戻って海岸線に出て芭蕉の後を追うかのように進んだのかという点。
〇先ずは曾良が立寄った湯温海(ゆあつみ)元湯(温海温泉)を紹介する



〇温泉の規模としては、中の小か・小の大というところ。曾良が訪ねた時代にはかなり有名な温泉だったのではないか(曾良は、温海という名のゆかしさに惹かれた)。
〇曾良はここから山奥を南下して「小俣宿」(越後国最北端)に出たとボクは考える。
〇芭蕉は、鼠ヶ関からどういうコースを進んだか。今車で進行すると、国道7号線(羽前街道)は鼠ヶ関からずっと海岸線を走って南下し越後国(村上市北端)に入ってから内陸に入り中村宿(現在は北中)に至る。しかし旧出羽街道は鼠ヶ関から直ぐの府屋から内陸の小俣宿に向い(東行する)、小俣宿から山中を南下して中村宿に出ていた。芭蕉は馬を利用して鼠ヶ関を目指した。馬を途中で乗り捨てる訳にはいくまい。次の馬次駅まで乗って行っただろう。それは次の宿場まで行くと云うこと。中村宿を直接目指すのは距離的に馬にとって負担が大きい。小俣宿を目指したのではないか。小俣宿は旧羽前街道の一つの要の宿場だった。

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