『曾良随行日記』『十七日 快晴。翁、源意庵へ遊。予、病気故、不レ随。今夜、丑ノ比ヨリ雨強降テ、暁止。』
↓ 源意庵は立花北枝宅だった。源意庵で句会が催された。その時披露された芭蕉の句が
《あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風》
だったという。この句は、越後・越中・金沢の道中を移りゆく日の下を進みながら醸成されていったと見られる。
「立花北枝宅跡 北枝はその居を転々としており、一応旧観音町(現・東山)に始まり、旧下新町(現・尾張町)、春日町と住みかわり、そこに「源意庵」を構えていた。芭蕉が訪れたのは、尾張町説が有力で、そこで「あかあかと」の句も初めて披露されたものといわれている。金沢市」
北枝はこれからの加賀路で重要な役割を果たす。
↓旧立花北枝亭・現金丸家。尾張町の裏通りにある。
↓向かって左隣が「久保市乙剣宮」
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