《奥の細道》《その夜、月殊(ことに)晴たり。「あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路の習ひ、猶明夜の陰晴(いんせい)はかりがたし」と、あるじ(主)に酒すゝめられて、けい(気比)の明神に夜参す。仲哀天皇の御廟也 。社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂霜を敷るがごとし。往昔、遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ、泥渟(でいてい。泥濘の誤記か)をかは(乾)かせて、参詣往来の煩なし。古例今にた えず、神前に真砂を荷ひ給ふ。これを「遊行の砂持と申侍る」と、亭主のかたりける。
月清し遊行のもてる砂の上
十五日、亭主の詞にたがはず雨降 。
名月や北国日和定なき 》
↓大鳥居・重文
↓拝殿前の鳥居
↓拝殿
拝殿前。遊行の砂持で境内が綺麗になっている
本殿
↓拝殿入口鳥居の向かいに松尾芭蕉の銅像と句碑が立っている。
銅像の台座。《月清し遊行のもてる砂の上 はせを》
↑「芭蕉翁月五句」
《国々の八景更に気比の月》
《月清し遊行のもてる砂の上》
《古き名の角鹿(★註)(つぬが)や恋し秋の月》
《古き名の角鹿(★註)(つぬが)や恋し秋の月》
★註 末尾に摂社「角鹿神社」が出てくる
《月いつく鐘ハ沈(しずめ)る海の底》
《名月や北国日和定泣き》
↑↓「芭蕉と敦賀の月 月を殊のほか愛した芭蕉は元禄二年奥の細道の旅で敦賀を中秋観月の名所と定めてこの地に来り月の絶唱とも言うべき名吟に遊んだ 碑の句はその代表的な敦賀での作品であり それぞれ敦賀の歴史風土景観のゆたかさを詠んでいる これらの他に敦賀では次のような月の句をも見る 」
《中山や越路も月ハまた命》
《月のみか雨に相撲もなかりけり》
《衣着て小貝拾ハんいろの月》
↓「気比のみや はせを」
《なみだしくや遊行のもてる砂の露》
この句は、《月清し遊行のもてる砂の上》の初案だそう。なおこの刻字は、芭蕉の真蹟という。
↑「芭蕉翁杖跡 芭蕉翁露塚(左奥)
《なみたしくや遊行のもてる砂の露 はせを》
芭蕉翁銅像(右)台座の句は露塚の句を初案としたもの
《月清し遊行のもてる砂の上 はせを》
↓角鹿(つぬが)神社 式内摂社
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