種ヶ浜(いろがはま、色浜)
《奥の細道》《十六日、空霽(はれ)たれば、ますほの小貝ひろはんと(★註1)、種の浜(いろのはま・色浜)に舟を走す。海上七里あり。天屋何某(★註2)と云もの、破籠(わりご、★註3)・小竹筒(ささえ、★註4)などこまやかにしたゝめさせ、僕(下僕)あまた舟にとりのせて、追風時のまに吹着ぬ。
浜はわづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺(法華寺・ほっけでら、★註5)あり。爰に茶を飲、酒をあたゝめて、夕ぐれのさびしさ、感に堪たり。
寂しさや須磨にかちたる浜の秋
波の間や小貝にまじる萩の塵
其日のあらまし、等栽に筆をとらせて寺に残す。
★註1 西行の歌「潮染むるますうの小貝拾ふとて色の浜とはいふにやあるらん」を歌枕とする
★註2 芭蕉門人で天屋五郎右衛門といい、敦賀の廻船問屋の主人。俳号玄流
★註3 白木で作った弁当箱。内部に間仕切りなどがある。
★註4 竹筒で出来た携帯用お酒入れ。上部に木製の栓があってそれを抜いて酒を飲んだり入れたりする口がある。
★註5 法華宗本隆寺(総本山は京都本能寺)。この時の等栽の筆になるとされる画が現存する。
↓ ここは、敦賀と色が浜間の半ば。対岸に敦賀火力発電所の煙突が見える。右側に敦賀市街がうっすらと見える。ここから天屋何某の仕立てた舟で敦賀湾を北上し色が浜を目指した。
↓色が浜↓沖に砂州があり松が生えている。
↓侘びしき法華寺・本隆寺。
↓「法華宗・本隆寺 ‥‥‥西行「山家集」に
汐そむるますほの小貝拾ふとて色の濱とはいふにやあるらむ
俳聖芭蕉翁と本隆寺
俳聖芭蕉翁不滅の作品「奥の細道」は色ヶ浜紀行によって飾られている
寂しさや須磨にかちたる濱の秋
小萩ちれますほの小貝小盃
浪の間や小貝にまじる萩の塵
そのあらまし等栽に筆をとらせて寺に残す」
↓句碑
《衣着て小貝拾わんいろの月 芭蕉》
↓「芭蕉翁杖跡」の碑↓ 《小萩ちれますほの小貝小盃 桃青》
↓本隆寺・開山堂
↓ 開山堂傍の句碑・歌碑
↓ 寂塚 《寂しさや須磨にかちたる濱の秋》
↓歌枕。《潮染むるますほの小貝拾ふとて 色の濱とは言ふにやあるらん 圓位》
圓位(えんに)とは、西行上人のこと。「ますほの小貝ひろはんと、種(いろ)の浜に舟を走(は)す」という芭蕉の行動の原動力になったのは、この西行の歌への憧れ。
「等栽に筆をとらせて寺に残した其の日のあらまし」は、本隆寺に今も秘蔵されているそう。そのあらましとは、
「気比の海のけしきにめで いろの浜の色に移りて ますほの小貝とよミ侍りしは 西上人の形見成りけらし されば所の小ハらハ(童)までその名を伝へて 汐のまをあさり風雅の人の心をなぐさむ 下官(やつがれ)年比(としごろ)思ひ渡りし 此のたび武江 芭蕉桃青巡国の序 このはまにまうで侍る 同じ舟にさそはれて小貝を拾ひ袂につゝミ 盃にうち入れなんどして 彼上人のむかしをもてはやす事になむ 越前ふくゐ 洞哉書」
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