山梨県・旧一宮町、現在の笛吹市。「花鳥山・一本杉の岡」の麓。ここの桃源郷は文句なしに日本一。ボクが心臓の治療のため入院しカテーテル治療を受けて命拾いし更生した翌年でなかったか、ここを訪れたのは。事務所の山崎さんの運転で旅した。ここを知ったのは、この数年前に石川「一水会」の写生旅行に混ぜて貰ってここの近くの「釈迦堂遺跡考古資料館」の前で描いたから。その翌年、単独で一宮町を訪れて「花鳥山」に上って桃源郷の絵を描いた。
↓ピンクの花は桃、白い花は杏。
↓山崎さん。今はこんなに太くない。20kg減量して見違えるほどスリムになっている。
2012年5月31日木曜日
2012年5月30日水曜日
〇5/30(水)七尾市・鷹合川の初夏
もう五月も30日になった。初夏の候。↓これは、糸トンボを写した。事務所の裏の土手には毎年初夏になると、糸トンボが沢山発生する。糸トンボはよく見ないと、見えない。
↓これは何か分る人。このブログをよ~く見ている人は分るかも。「タヌフン」(狸糞)。狸は共同便所を使う。一説によると、互いに仲間の糞を分析し合って近辺の食べ物の状況を知るそう。糞も生き抜く上での重要な情報源なのだ。新しい糞の下の土が黒ずんでいるが、これは古い糞の痕跡。糞を観察すると、何かの種が沢山含まれている。が、何の種か思い当たらない。ここで狸なら臭いを嗅ぐ。真似してみようかと思ったが、みっともないから止めた。あまり栄養のある物を食べていないことは確か。
↓橋の上から見下ろすと、亀がのんびりと浮かんでいた。こやつらは、川藻の中に身を潜(ひそ)めているつもりなのかなぁ、ひとつその間抜け振りを撮ってやろうと思ってカメラを向けたら、一匹が慌ててボコンと藻の中に隠れて二匹になった。まんざらバカをやってるんじゃないらしい。
↓これは何か分る人。このブログをよ~く見ている人は分るかも。「タヌフン」(狸糞)。狸は共同便所を使う。一説によると、互いに仲間の糞を分析し合って近辺の食べ物の状況を知るそう。糞も生き抜く上での重要な情報源なのだ。新しい糞の下の土が黒ずんでいるが、これは古い糞の痕跡。糞を観察すると、何かの種が沢山含まれている。が、何の種か思い当たらない。ここで狸なら臭いを嗅ぐ。真似してみようかと思ったが、みっともないから止めた。あまり栄養のある物を食べていないことは確か。
↓橋の上から見下ろすと、亀がのんびりと浮かんでいた。こやつらは、川藻の中に身を潜(ひそ)めているつもりなのかなぁ、ひとつその間抜け振りを撮ってやろうと思ってカメラを向けたら、一匹が慌ててボコンと藻の中に隠れて二匹になった。まんざらバカをやってるんじゃないらしい。
2012年5月29日火曜日
〇法隆寺《百済観音》
法隆寺の《百済観音》は不思議な仏像。古記録には全く記載がない。天平時代の「法隆寺流記資財帳」に記載がなく、11世紀後半の「金堂仏像等目録」、鎌倉時代の「聖徳太子伝私記」にも記載がない。漸く江戸時代・元禄11年の「元禄諸堂仏体数量記」に至って「虚空蔵菩薩、百済国より渡来、天竺像也‥‥」の記載が登場する。以後出てくる記述は「虚空蔵菩薩」であって《百済観音》の記載は一切ない。明治時代になって《百済観音》の呼称が登場する。記録上、由緒も名前も定かでない不思議な仏像。
以下の氏名は、撮影者。
土門拳
小川光三
同
入江幸吉・撮影 《百済観音》が今被っている宝冠、これは明治時代になって発見された。百済観音の頭上に載せてみると実にピッタリする。この宝冠こそ、元来百済観音のものだった。発見された宝冠には阿弥陀如来が化仏として透かし彫りされていた。阿弥陀如来の脇侍は、観音菩薩と勢至菩薩。そこで、それまでこの菩薩像は虚空蔵菩薩とされてきたが、この宝冠を戴いたときから観音菩薩と考えられるようになり、百済から渡来したと「元禄諸堂仏体数量記」に記述されていることから《百済観音》と呼称されるようになった。
小川光三・撮影 《百済観音》の顔立ち・表情は、純和風を逸脱している。仏師は日本人ではなかろう。油絵にする前に既に油絵になっている。
同
辻本米三郎
同
小川光三
入江幸吉
同・撮影 きゃしゃな姿で立っているが、圧倒的な存在感を持っている。
同
同・撮影 《百済観音》の肢体は細くて長い。九頭身の柳腰像。日本において同様の仏像は類例を見ない。孤立孤高の仏像。吾輩には、人体になぞらえた仏像というよりも、神木・材木の形そのものを残しているように見える。九頭身の柳腰像をイメージしたというよりも、神木を崇拝して彫刻していったらたまたまこのような形になったという感じ。
小川光三
同
同
辻本米三郎
小川光三・撮影 両手の五指がそれぞれに美しい動きを表現している。
入江幸吉
小川光三
入江幸吉
小川光三
入江幸吉
小川光三
辻本米三郎
小川晴暘・撮影 現在《百済観音》は宝蔵院・中央の「百済観音堂」に単独に安置されている。宝蔵院が出来るまでは、《百済観音》に正式の居場所がなかった。奈良帝室博物館に居たこともあるが、そこから法隆寺に戻ってからは、金堂の片隅に居候然として置かれていた。↓向かって左の仏像が百済観音像。宝蔵院の建設は、《百済観音》の安置場所を作ることも大事な動機となっていた。
以下の氏名は、撮影者。
土門拳
小川光三
同
入江幸吉・撮影 《百済観音》が今被っている宝冠、これは明治時代になって発見された。百済観音の頭上に載せてみると実にピッタリする。この宝冠こそ、元来百済観音のものだった。発見された宝冠には阿弥陀如来が化仏として透かし彫りされていた。阿弥陀如来の脇侍は、観音菩薩と勢至菩薩。そこで、それまでこの菩薩像は虚空蔵菩薩とされてきたが、この宝冠を戴いたときから観音菩薩と考えられるようになり、百済から渡来したと「元禄諸堂仏体数量記」に記述されていることから《百済観音》と呼称されるようになった。
小川光三・撮影 《百済観音》の顔立ち・表情は、純和風を逸脱している。仏師は日本人ではなかろう。油絵にする前に既に油絵になっている。
同
辻本米三郎
同
小川光三
入江幸吉
同・撮影 きゃしゃな姿で立っているが、圧倒的な存在感を持っている。
同
同・撮影 《百済観音》の肢体は細くて長い。九頭身の柳腰像。日本において同様の仏像は類例を見ない。孤立孤高の仏像。吾輩には、人体になぞらえた仏像というよりも、神木・材木の形そのものを残しているように見える。九頭身の柳腰像をイメージしたというよりも、神木を崇拝して彫刻していったらたまたまこのような形になったという感じ。
小川光三
同
同
辻本米三郎
小川光三・撮影 両手の五指がそれぞれに美しい動きを表現している。
入江幸吉
小川光三
入江幸吉
小川光三
入江幸吉
小川光三
辻本米三郎
小川晴暘・撮影 現在《百済観音》は宝蔵院・中央の「百済観音堂」に単独に安置されている。宝蔵院が出来るまでは、《百済観音》に正式の居場所がなかった。奈良帝室博物館に居たこともあるが、そこから法隆寺に戻ってからは、金堂の片隅に居候然として置かれていた。↓向かって左の仏像が百済観音像。宝蔵院の建設は、《百済観音》の安置場所を作ることも大事な動機となっていた。
2012年5月28日月曜日
〇乗鞍岳スカイライン(2)
魔王岳登山道から見た直ぐ向かいの恵比須岳2831m
大黒岳2772m
目指す魔王岳2763m
恵比須岳。この山は、雪渓の麓に亀ヶ池を抱えている。
富士見岳と大黒岳の間の凹部に、穂高連峰が見える。
同上。
魔王岳2764mの登頂?に成功。
穂高連峰を写したつもり。
↓穂高連峰が写って見える。右から前穂高、中央に奥穂高、左に西穂高。
富士見岳。右端に穂高連峰が見えている。
恵比須岳。
左・富士見岳、右・不動岳2875m。真ん中に剣ヶ峰3026m。
大黒岳2772m
富士見岳の背後に、左から笠ヶ岳、穂高連峰が見えている。
同上
鶴ヶ池と富士見岳。
登頂f(-_-;)した魔王岳を振り返る。
2,700mの山頂はさすがに寒かった。午前10時現在で3℃だったそう。バスから降りたら思わずワイシャツの一番上のボタンを留めた。
中央に立つ女性は、乗鞍岳の女神・比売(ひめ)←吾輩が勝手に名付けた。親切・優しい・気が付く・健康・馬力がある。「山ガール」なんて甘っちょろいものでない、正真の「山女(やまおんな)」。山岳ガイドのプロ。バスが着く度に案内パンフを配る、初心者とみたら懇切に案内する。上の気象メモは剣ヶ峰ヘの登山口に貼り出されていたが、これも彼女の作成に違いない。吾輩が魔王岳に挑戦していたら、何といつのまにか山頂からゴミを拾いながら下りてきて(見回りだろう)声を掛けてくれた。バテて石段に腰掛けて休んでるところをバッチリ上から観察されていた。「空気が薄いですからね」。そういたわられたら忽ち頭痛がし出した。吾輩は狭心症・貧血持ちで高山病体質なのを忘れていた。
↓戻りのバスに乗った。穂高連峰が見えている。
穂高連峰が見えている。
穂高連峰。
同上
同上
笠ヶ岳と穂高連峰。
穂高連峰。
平湯から一般道を走る途中で見た・若葉の中の笠ヶ岳。
以下、乗鞍岳・畳平のバスターミナルで見たポスター。↓スカイラインの途中のどこかにこの池があるらしい。絵になるが、タクシーを仕立てるしか行きようがないんじゃないか。
平湯の滝ではないか。この構図はちょっと絵にならない。
ほのおき平近くの「五色が原」ではないか。
大黒岳2772m
目指す魔王岳2763m
恵比須岳。この山は、雪渓の麓に亀ヶ池を抱えている。
富士見岳と大黒岳の間の凹部に、穂高連峰が見える。
同上。
魔王岳2764mの登頂?に成功。
穂高連峰を写したつもり。
↓穂高連峰が写って見える。右から前穂高、中央に奥穂高、左に西穂高。
富士見岳。右端に穂高連峰が見えている。
恵比須岳。
左・富士見岳、右・不動岳2875m。真ん中に剣ヶ峰3026m。
大黒岳2772m
富士見岳の背後に、左から笠ヶ岳、穂高連峰が見えている。
同上
鶴ヶ池と富士見岳。
登頂f(-_-;)した魔王岳を振り返る。
2,700mの山頂はさすがに寒かった。午前10時現在で3℃だったそう。バスから降りたら思わずワイシャツの一番上のボタンを留めた。
中央に立つ女性は、乗鞍岳の女神・比売(ひめ)←吾輩が勝手に名付けた。親切・優しい・気が付く・健康・馬力がある。「山ガール」なんて甘っちょろいものでない、正真の「山女(やまおんな)」。山岳ガイドのプロ。バスが着く度に案内パンフを配る、初心者とみたら懇切に案内する。上の気象メモは剣ヶ峰ヘの登山口に貼り出されていたが、これも彼女の作成に違いない。吾輩が魔王岳に挑戦していたら、何といつのまにか山頂からゴミを拾いながら下りてきて(見回りだろう)声を掛けてくれた。バテて石段に腰掛けて休んでるところをバッチリ上から観察されていた。「空気が薄いですからね」。そういたわられたら忽ち頭痛がし出した。吾輩は狭心症・貧血持ちで高山病体質なのを忘れていた。
↓戻りのバスに乗った。穂高連峰が見えている。
穂高連峰が見えている。
穂高連峰。
同上
同上
笠ヶ岳と穂高連峰。
穂高連峰。
平湯から一般道を走る途中で見た・若葉の中の笠ヶ岳。
以下、乗鞍岳・畳平のバスターミナルで見たポスター。↓スカイラインの途中のどこかにこの池があるらしい。絵になるが、タクシーを仕立てるしか行きようがないんじゃないか。
平湯の滝ではないか。この構図はちょっと絵にならない。
ほのおき平近くの「五色が原」ではないか。