この週末、久し振りに家に居た。
今日・日曜日午前中、ヤンキース・田中将弟の投げる試合を見た。九回まで投げて結局最後にホームランを打たれて三敗目を喫しちゃった。半日・無駄にした感じ。ボクが田中の登板試合を見たのはこれで三試合。それで三試合とも負け試合。勝ったのを見たことがない。今日決心した。ボクはもう田中の登板試合を見ない。結果は新聞で確認する。
後悔――ヤンキース田中の試合を見ずに、福井市の次女に電話してみれば良かったなぁ。休日で時間が空いていたら福井に駆けつけて、一緒に勝山市の岩間の大杉と平泉寺白山神社の苔の境内の写真を撮りに行く。次女は写真が好き。写真家の様な好い写真を撮る。どうせ忙しくて付き合えないやろうけど、初めからダメで元々なんやから。
土・日の時間を割いて、七重ちゃんとのメールを整理した。これが気になっていた。
2014年6月29日日曜日
2014年6月26日木曜日
〇5/25(日)宇陀路。新緑の《室生寺》。国宝・重文の宝庫。
〇大宇陀・榛原を通過して宇陀路を北東に名張を目指すと、途中に室生寺に行く道が分岐する。ボクは久し振りに室生寺を訪れた。
↓「女人高野室生寺」の石碑
↓護摩堂
↓楼門
楼門を潜った。
↓国宝・金堂へ。
国宝・金堂。中に国宝仏像二体・重文仏像三体が並んで立っており、その前に重文十二神将像が躍動して並んでいる。圧巻。冒頭の写真の国宝・十一面観音立像もここに居られる。この日は、外一体と共に修復に出されていて不在。
↓国宝・釈迦如来立像
↓国宝・十一面観音立像
↓国宝・釈迦如来坐像
↓重文・弥勒菩薩立像
↓金堂の横。新緑。
↓放生池越しに見る灌頂堂・国宝。
国宝・灌頂堂。本尊は重文如意輪観音菩薩坐像。
↓重文・如意輪観音坐像
↓国宝・五重塔
↓奥ノ院に登る石段。これが長くてきつい。
新緑の中の国宝・灌頂堂
↓新緑の中の国宝・金堂。
〇この後、名張を経由し、北上して伊賀上野盆地に出、東進して鈴鹿峠を越えて伊勢国に出た。鈴鹿・四日市・桑名と経由し、伊勢街道を北上して関ヶ原・不破の関に至った。以上で一応・壬申の乱の大海人皇子の進出経路の探訪を終えた。
〇5/25(日)吉野宮から壬申の乱の征路を大宇陀に向かう。道中、重文「覚恩寺」に出会う。
〇宇陀路を一路大宇陀に向けて邁進していたら、道端に重文・覚恩寺の案内表示が出ていた。慌てて急ブレーキを踏んで道を折れて小道に入った。
↓重文・薬師如来坐像が安置された宝蔵。仏像は藤原時代作。元の寺は廃寺となっている。↓重文・十三重石塔。室町初期の建立。
2014年6月25日水曜日
〇6/25(水)七尾市鷹合川。亀と蛙ののどかな共棲。
〇鷹合川の橋の上から川面を見下ろす。梅雨の晴間の好天の日が続く。のどかな風景。この絵の中に亀が五匹、大蛙が一匹見える。分りますか。蛙は、右上の亀二匹を底辺にした三角形の頂点に居る。
↓右上を拡大したのがこの絵。三角形の頂点に蛙が左向きに写っている。↓蛙さんの拡大図。よく見ると、アレッ・蛙さんの目の前に亀君が一匹頭を水面に出して右を向いている。となると最初の絵には、亀君たちが六匹写っていたことになる。ひょっとするともう一、二匹密かに写っているかも。
〇日本一の花菖蒲園《頼成の森》(四・完結篇)
↓谷間の奥の田に入る。
↓12号田
↓13号田
↓14号田
↓19号田
↓22号田
↓24号田。「あと一息 100m先が足湯です ガンバリましょう」の立看。だがボクはもう頑張らない。ここで引き返すことに。花菖蒲田は最奥30数号田まで続く。
↓奥の三角屋根の建物が足湯。
↓引き返しだした。
↓以下、帰りは花菖蒲園の写し方を変えた。少しうまくなったかも。
↓入り口の門を出て駐車場に向かう道すがら・眼下の門前の花菖蒲園を写す。大概の所では、この規模の花菖蒲園で・花菖蒲祭をやっている。