「流浪の画家」の隆くん
2014年11月26日水曜日
〇9/27(土) 伊賀市上野「蓑虫庵」
〇かつて伊賀上野に五つあった芭蕉の庵で残存しているのは、この「蓑虫庵」だけ。芭蕉の高弟
・服部土芳が建てた。
↓《
みのむしのねをききにこよこの庵
ばせを》
↓敷地内にある芭蕉堂
《
よくみればなづな花さく垣ねかな
ばせを》
↓服部土芳墓
《
古池や蛙飛びこむ水の音
ばせを》 芭蕉の前で蛙が飛び込んだ古池は全国あちこちにある。
古池
2014年11月25日火曜日
〇9/27(土)伊賀市上野愛染院(願成寺)・芭蕉「故郷塚」
〇芭蕉の生家から200mほどのところにある生家の菩提寺・愛染院(願成寺)。ここには門弟・門人の計らいで遺髪のみが納められている。遺骨は芭蕉の遺言で大津市内の「義仲寺」に納められた。木曾義仲の墓の傍に葬られている。
「史跡芭蕉翁故郷塚」
↓「芭蕉翁古郷塚」
逆光の本堂
↑↓《
家はみな杖にしら髪の墓参り
芭蕉》
↓「偲翁碑」
↓故郷塚入口。要200円(維持費)
↓門人の翁を偲ぶ碑
↑↓《
数ならぬ身となおもひそ玉祭り
》
2014年11月21日金曜日
〇9/27(土) 三重県伊賀市上野「無名庵跡」《冬籠りまたよりそはん此のはしら》
〇上野に芭蕉の庵は五つあったそう。そのうち現存するのは次に紹介する蓑虫庵のみ。ここで紹介する「無名庵」は芭蕉の生家の最奥にあった。今は石碑だけが残っている。
《
冬籠りまたよりそはん此はしら
》
芭蕉の木が独り元気に植わっている。
2014年11月17日月曜日
〇9/27(土) 三重県伊賀市上野・芭蕉の書斎「釣月軒」
〇「釣月軒」は生家の後園に建つ。芭蕉の若き日の書斎。芭蕉はここで俳交のあった伊賀上野の諸氏の発句に自句をも交え、これを左右につがえて三十番の句合とし、さらに自ら判詞を記して勝負を定め、書名を「貝おほひ」と題し、序文の後尾に「寛文12年正月25日、伊賀上野松尾芭蕉宗房、釣月軒にしてみづから序す」としたため、産土神である上野天神宮に奉納して文運を祈願した。その春、芭蕉は江戸に赴いた。芭蕉の江戸流寓はこの時期から始まる。
↓右奥・生家裏、左・釣月軒
↓釣月軒の横に芭蕉が植えられている。
↓釣月軒の内部
〇釣月軒のさらに奥の庭に「無名庵跡」がある。
2014年11月12日水曜日
〇9/27(土) 三重県伊賀市上野「松尾芭蕉の生家」
↑「史跡 芭蕉翁生誕の地 この処は俳聖松尾芭蕉の生家である。翁は正保元年(1644)ここで生まれた。父は与左衛門、母は藤堂宮内の移封に従い伊予国宇和島から名張に随従して来た者の女と伝えられる。与左衛門夫婦には二男四女があり、長男は‥、次男は金作又は忠右衛門宗房といった。つまりのちの芭蕉翁である。芭蕉が幼少の頃、藤堂藩伊賀附の侍大将藤堂新七郎家の嗣主計(かずえ)良忠は蝉吟(せんぎん)と号して北村季吟門に俳諧を学んでいた。俳諧好きの芭蕉翁は新七郎家の文芸サロンにも一座するようになり、めきめきと頭角をあらわした。その集大成ともいうべきものは、後の処女撰集『貝おほひ』の版行であった。
生家の後園に建つ釣月軒は(次回に紹介)若き日の芭蕉の書斎である。
★続く」
↓右から「風呂場」「小便所」「小雪隠」と並んでいる。
‹
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示