↑菊の湯・泉屋の近くに芭蕉の小径の案内標がある。
↑小径をたどると芭蕉の館へ導かれる。
↓芭蕉の館。
↓館の入口に芭蕉と曾良の別れの場面を石刻した像が置かれている。
↑山中温泉で芭蕉が詠んだ句。全部で六句あるよう。
①桃の木のその葉ちらすな秋の風
②山中や菊はたおらぬ湯の匂
③いさり火にかじかや波の下むせび
④湯の名残今宵は肌の寒からむ
⑤湯の名残幾度みるや霧の下
⑥今日よりや書付消さん笠の露
↓これは芭蕉真筆の複製らしい。
↓昭和20年頃の菊の湯。
2015年2月27日金曜日
2015年2月20日金曜日
〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(23) 山中温泉・大木戸門跡
〇曾良随行日記の記述
《28日 快晴。夕方、薬師堂其の外町辺を見る。‥》
芭蕉一行は薬師堂(医王寺)を訪ねた後、町の中を歩いた。
↓大木戸門跡。ここはきっと訪ねたろう。菊乃湯、泉屋から遠くない。
↓「山中温泉大木戸門址」石碑
↓芭蕉句碑 《漁り火に河鹿や波の下むせひ 芭蕉》
↓芭蕉句碑 《や万なかや菊はたおらじゆのにほひ はせを》
↓芭蕉句碑
《今日よりや書付消さん笠の露》
曾良とはここ山中温泉で別れた。曾良が先に旅立った。曾良が独り旅立ったとき芭蕉が詠んだのがこの句。当時旅に出るとき笠の裏に「同行二人」と書き付けて旅をした。四国お遍路では襷に書いてそれを掛けて歩く。旅は独りでしているのではない、常に弘法大師空海が一緒に旅をして下さっているという気持を表している。芭蕉は「同行二人」に曾良と一緒の意を込めてこの句を詠んだのだろう。曾良と別れることになった、笠の裏に書付た「同行二人」の書付を今日からは消そうという意味だろう。別れることになった理由は、芭蕉が書き残したように曾良の腹痛ではないように思う。腹痛を起こした者が先に旅立つというのは変。安静の為留まるのが普通だろう。曾良・隠密説が発生するのも分からぬでもない。が、ボクは芭蕉の句意から何か感情的な理由を嗅ぎ取る。北枝の存在が関わるかも知れない。北枝は金沢から越前松岡・天龍寺まで同行する。
2015年2月17日火曜日
〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(22) 山中温泉「薬師堂」
〇曾良随行日記の記述
《27日(小松を立ち)晩 山中に申(さる)の下尅(げこく)、着く。泉屋久米之助方に宿す。‥》
《28日 快晴。夕方、薬師堂其の外町辺を見る。‥》
↓「準別格本山・医王寺」(お薬師さん)
↓「準別格本山・医王寺」(お薬師さん)
2015年2月16日月曜日
〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(21) 山中温泉「菊の湯」「宿・泉屋」
〇《奥の細道》の記述。
《温泉(いでゆ)に浴す。その効有馬に次ぐと云う。
↓左・菊の湯女湯。右・山中座
↓芭蕉逗留・泉屋の址ー桃妖ゆかりの宿ー
元禄2年(1689年)秋、松尾芭蕉は「奥の細道」の途中山中温泉に立ち寄り長谷部信連公ゆかりの「泉屋」に八泊九日間を逗留し旅の疲れを癒した。この宿の主人久米之助はまだ14歳の若者であったが、その才能と将来性を芭蕉に認められ《桃の木の其の葉ちらすな秋の風》の一句とともに芭蕉の俳号「桃青」の一字をいただき「桃妖(とうよう)」の号を贈られた。以来、蕉風発展につとめ多くの俳人達が、この地を訪れ、加賀俳壇にその名をなした。
↓芭蕉逗留・泉屋の址
↓菊の湯と山中座の間にある時計塔。時を告げる時刻になると山中節を踊る仕掛け人形が出現する。
↓菊の湯裏に早朝出現するコーヒーボランティアのおばさんたち。
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《温泉(いでゆ)に浴す。その効有馬に次ぐと云う。
山中や菊はたをらぬ湯の匂ひ 》
↓総湯・菊の湯。芭蕉が浸かった湯はこの菊の湯に相違ない。《菊はたをらぬ湯の匂ひ》の句の中に菊の湯が織り込まれているし、宿をとった泉屋がほんの筋向いにあった。
↓左・菊の湯女湯。右・山中座
〇《奥の細道》の記述。
《あるじとする者は、久米之助とて、いまだ小童也。かれが父、俳諧を好み、洛の貞室(貞徳門の俳諧師)、若輩のむかし、ここに来たりし比(ころ)、風雅に辱しめられて、洛に帰りて貞徳の門人となって、世にしらる。功名の後、此の一村、判詞の料(俳諧の点料)を請けずと云う。今更むかし物語とはなりぬ。》
↓泉屋久米之助の家は、この「みのわ呉服店」辺りにあったと言われている。久米之助は芭蕉を迎えた時、14歳だったそう。
↓みのわ呉服店前の案内碑↓芭蕉逗留・泉屋の址ー桃妖ゆかりの宿ー
元禄2年(1689年)秋、松尾芭蕉は「奥の細道」の途中山中温泉に立ち寄り長谷部信連公ゆかりの「泉屋」に八泊九日間を逗留し旅の疲れを癒した。この宿の主人久米之助はまだ14歳の若者であったが、その才能と将来性を芭蕉に認められ《桃の木の其の葉ちらすな秋の風》の一句とともに芭蕉の俳号「桃青」の一字をいただき「桃妖(とうよう)」の号を贈られた。以来、蕉風発展につとめ多くの俳人達が、この地を訪れ、加賀俳壇にその名をなした。
↓芭蕉逗留・泉屋の址
《湯の名残今宵は肌の寒からむ 芭蕉》
↓《旅人を迎に出ればほたるかな 桃妖》
↓《湯の名残今宵ハ肌の寒からむ》
↓山中座に展示してある木像芭蕉像↓菊の湯と山中座の間にある時計塔。時を告げる時刻になると山中節を踊る仕掛け人形が出現する。
↓菊の湯裏に早朝出現するコーヒーボランティアのおばさんたち。
↓「旅行の方 思い出の1ページに!無料です お気楽にどうぞ!!」 ボクも無料でご馳走になった。