《曾良随行日記》の平泉探訪の日の欄に『‥‥天気明。巳の剋(みのこく・午前10時)より平泉へ趣く。‥‥を見る。‥‥タツコクガ岩ヤへ不ㇾ行。三十町有る由。‥‥。申の上剋(さるのじょうこく・午後3時40分頃)(一関の宿に)帰る。‥‥』とある。この記述をボクは憶えていなかった。それで、最初「達谷窟毘沙門堂」の真っ赤な異様な御堂を見た時、新興宗教の寺院だと思った。足を止めるかどうかちょっと迷ったが、行き過ぎて・そして止まってUターンした。結果的には拝観して好かった。芭蕉と曾良は三十町の道程(みちのり)がきつくて探訪を断念したが、ボクはポンコツ車と雖も健気に頑張るセレナ君を駆っていたので探訪できた。時代の差。
↓一の鳥居。三の鳥居まである。神仏分離は全くしていない。ここには、幕末維新時の神道原理主義の嵐は全然及ばなかったと見える。
↓弁天堂。弁財天は、水と財を司るインド渡来の神なので必ず池の中に坐っている。
↓達谷窟毘沙門堂
↓「達谷窟毘沙門堂縁起」 約1200年前、悪路王等の蝦夷がこの窟に塞を構えて悪逆の振舞いが多かった。桓武天皇は坂上田村麿公を征夷大将軍に任じて討伐させた。悪路王等は参千余の賊徒を率いて駿河国清見関まで進んだが、田村麿公が京を発したと聞いて惧れをなしこの窟に引き返して守りを固めた。延暦20年(801)大将軍は窟に籠もる蝦夷を打ち破り・悪路王らの首を刎ね・遂に蝦夷を平定した。大将軍は、戦勝は毘沙門天の御加護と感じ・その御礼に京の清水の舞台造りを真似て九間四面の精舎を建て、百八体の毘沙門天を祀り・国を鎮める祈願所とし毘沙門堂と名付けた。延暦21年(802)には別当寺として達谷西光寺を創建し、奥真上人(おうしんしょうにん)を開基として東西30余里、南北20余里の広大な寺領を定めた。前九年・後三年の役の折には、源頼義公・義家公が戦勝祈願のため寺領を寄進し、奥州藤原氏初代清衡公・二代基衡公が七堂伽藍を建立したと伝えられる。文治5年(1189)源頼朝公が奥州合戦の帰路・毘沙門堂に参詣し、その模様が《吾妻鏡》に記されている。‥‥」という縁起の古く由緒正しき御堂であった。
↓達谷窟毘沙門堂
↓岩面大仏
↓不動堂
↓本堂・金堂
↓ここの方丈・庫裏はそれは見事に古く格式のある萱葺き民家だった。方丈の写真を撮り忘れたことが重ね累ね悔いを残す。
↓冬の達谷窟毘沙門堂
2015年5月31日日曜日
〇《奥の細道》紀行・奥州路(40) 一関市「厳美渓」
〇平泉探訪を終えて、その日の泊りは最寄りの道の駅に。探索すると「道の駅・厳美渓」が最寄と出た。途中でコンビニを探しつつ出向いたが、結局コンビニはナシ。夕食はナシ。残り物で間に合わせてその夜は寝た。翌朝第一番にすぐ近くの「厳美渓(げんびけい)」を探訪。なお、一関には「猊鼻渓(げいびけい)」もあるというからややこしい。
↓甌穴も見える。
↓ ちょっと上流側に低い滝がある。
↓甌穴も見える。
↓ ちょっと上流側に低い滝がある。
2015年5月30日土曜日
〇《奥の細道》紀行・奥州路(39) 平泉(十三)「毛越寺(もうつじ)」
〇《奥の細道》には「毛越寺」参詣のことは出てこない。《曾良随行日記》も「毛越寺」には一切触れていない。毛越寺に詣でて曾良がそれをメモに残さないということはありえないから、芭蕉は毛越寺には行かなかったのだろう。ただ、ボクは折角平泉に来て毛越寺に参詣しないという手はないと思うので、夕暮れ近くに毛越寺の駐車場に駆け込んだ。
↓山門
↓庫裏・方丈↓本堂。平安時代建立当初の本堂は、大泉ヶ池の向かいにあった。大金堂円隆寺と云った。
↓平安時代末期の毛越寺の伽藍配置図は驚くべき姿を顕している。左下の南大門から大泉ヶ池の中之島を支点にして二本の橋が架けられ、その参道を渡ると大金堂円隆寺があった。大金堂から池に向けて両翼の様に二本の回廊が伸びてその先・池の畔に経楼と鐘楼があった。大金堂の左(向って)には講堂があり、講堂からも池に向かって二本の回廊が両翼の様に伸びていた。金堂の向かって右側には鑓水が流れ、そのさらに右側に法華堂・常行堂があった。さらにその右側に太い車道が一直線に延び、その右側が「観自在王院」だった。
南大門跡の礎石が見える
↓南大門から池の中之島に向けて橋が架かり、島からさらに向かいの大金堂円隆寺に向けてもう一本の橋が架かっていた。壮大な規模の寺院だった。
↓中之島
↓南大門の付近に「芭蕉翁句碑」がある。左の句碑は、芭蕉翁直筆の刻字だという。右は、俳人僧侶・素鳥が建てたそう(素鳥については→リンク先http://takashikun.blogspot.jp/2015/05/blog-post_27.html)
《夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉》
↓講堂跡へ
講堂跡
↓大金堂跡
↓大金堂跡から中之島・南大門跡を見る
池の向こうが南大門跡
↓経楼跡
↓鐘楼跡
↓大金堂跡
↓鑓水跡
↓常行堂
↓鐘楼
↓左・法華堂跡、右・常行堂跡
↓法華堂跡
↓常行堂跡
↓東門跡。この門の東(右側)に「観自在王院跡」が隣接して広がる。
↓州浜