2015年5月26日火曜日

〇《奥の細道》紀行・奥州路(28) 平泉(二)芭蕉は先ず「高館(たかだち)」に登った。義経最期の地。《夏草や兵どもが夢の跡》

↓高館に登る石段
↓「高館・義経堂 ここ高館は、義経最期の地として伝えられてきた。藤原秀衡は、兄頼朝に追われ逃れてきた義経を平泉にかくまう。しかし秀衡の死後、頼朝の圧力に耐えかねた四代泰衡は、父の遺命に背いて義経を襲った。文治元年(1189)閏四月三十日、一代の英雄義経はここに妻子を道連れに自刃した。時に義経三十一歳。吾妻鏡によると、義経は「衣河館(ころもがわのたち)に滞在していたところを襲われた。今は「判官館(はんがんだて)」とも呼ばれるこの地は、「衣川館」だったのだろうか。‥‥頂上からの眺望は随一で、西に遠く奥州山脈、眼下に北上川をへだてて東に束稲(たばしね)の山なみが眺められる。束稲山は往時、桜山とも呼ばれ、西行が山家集で
ききもせず束稲山の桜花 吉野のほかにかかるべしとは
と詠じた。また、元禄二年、俳聖松尾芭蕉が「おくのほそ道」で詠んだ
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
は、この場所といわれている。」
↓北上川の上流を見る。はるか先に白鳥の柵があったという。左から衣川が合流する。
↓北上川と束稲(たばしね)山
↓義経堂


義経像
↓源義経公供養塔
↓芭蕉句碑


夏草や兵どもが夢の跡
↓柳の御所遺跡から高館の小山を見る。義経堂や句碑は左奥にある。

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