2015年12月29日火曜日
〇年末年始の恒例全国探訪旅行はナシ。寝正月に決定。ギックリ腰。
還暦後この時期には毎年勇躍旅立っていた。東北方面は積雪があるので北上しないが、西へそして南へと足を延ばしていた。それが今年は旅先で野宿する自分を思い浮かべただけでブルブルっと寒気がして震えがくる有様でグズグズ出渋ってズルズル今日になってしまった。加齢で寒さに対する耐性が衰えたと見える。そして今日、トイレでギックリ腰を起こした。ウォッシュレットの方を利用していればこんなことにはならなかったのに。情けない。これでこの年末年始は寝正月と決まった。怠惰に寝正月と決め込むお墨付きを貰ったようなもの。嬉しくないが、仕方がない。仕方がない、というのは悪くない。
2015年12月28日月曜日
〇12/10(木)曇 〇〇協会研修旅行「東大寺」(二)
〇大鐘楼のある岡の上に来た。右手前の赤い建物が念仏堂、念仏堂と鐘楼の間・奥にある建物が俊乗堂。
↓俊乗上人(重源)坐像・国宝 俊乗堂本尊
↓地蔵菩薩坐像・重文。念仏堂本尊
↓大鐘楼
↓法華堂(三月堂)・国宝
↓法華堂内の仏像たち。すべて天平時代に制作された。ほとんどが塑像。身の丈3m前後の巨大仏が多い。日光・月光菩薩立像がまだ不空羂索観音立像の脇侍として安置されていた時の写真。
↓法華堂本尊《不空羂索観音立像》国宝、巨大。 脇侍の日光・月光両菩薩像は今は東大寺ミュージアムに移されている。
↓本尊の宝冠。宝石類が千余も散りばめられているそう。
↓羂索。逃げる衆生と雖もこの綱で絡め取って救わではおかないそう。↓本尊の合掌した手の間には水晶の宝珠が挟まれている。如意宝珠だそう。堂内が暗くて幾ら目を凝らしても宝珠そのものは見えない。しかし見る角度によってキラリと光が見える。ボクには光が見えたような気がした。
↓右端・四天王立像の一つ。後ろにもう一体四天王像が見える。左側が金剛力士像・阿形。中奥が梵天立像。いずれも国宝・塑像
↓左端が四天王立像の一体、背後にもう一体。右側が金剛力士像・吽形。中奥が帝釈天立像。いずれも国宝・塑像。
↓国宝・執金剛神立像(しゅうこんごうしんりゅうぞう)、塑像。秘仏、だが年に何回か公開される。見たいもの。
↓二月堂
↓二月堂から大仏殿に向かう。築地塀のある散歩道。
↓二月堂を振り返り見る。
12/10だというのにモミジがこんなに綺麗なまま残っていた。
〇時間切れで正倉院・戒壇院方面には脚を延ばせなかった。大仏殿に戻るとき細かい雨滴が落ち始めた。
〇12/10(木)曇 〇〇協会研修旅行・二日目三番「東大寺}(一)
〇皆で昼食を摂った後、午後一時から東大寺へ。↓南大門到着。
↓南大門を護る阿吽二体の仁王像。何度見ても勇壮偉大で魂魄の気が満ちていて飽きない。これぞ芸術作品。
〇東大寺ミュージアムに入る。
↓本尊然として中央に立つ千手観音立像。木像。この仏像は先だってまで四月堂の小さな暗い堂内に安置されていた。場違いに異様感を放っていた。それが、ミュージアムが新築されその檜舞台に立ったが、堂々と主役を務めている。それだけの貫録と芸術性がある。重文指定に留まるがボクの見立てではいずれ国宝になる。作者不明。国宝に指定されないのはそのためだと見ている。梅原猛は《行基仏》だと主張する。ボクもそう思う。
〇上の千手観音立像の両脇侍仏
↓国宝・日光菩薩立像 塑像・天平仏 東大寺ミュージアムが開設されるまで、法華堂(三月堂)本尊・不空羂索観音立像・国宝の脇侍仏だった。
↓国宝・月光菩薩立像 塑像
↓日光・月光両菩薩像のさらに脇に立つ四天王像。木像・重文
↓塑像・吉祥天立像・重文 元は法華堂に安置されていた。巨大
↓塑像・弁才天立像・重文。元は法華堂に安置されていた。巨大
↓誕生釈迦仏立像及び灌仏盤・国宝
〇ミュージアムを出て大仏殿に向かう。↓金堂(大仏殿)中門
〇大仏殿境内
↓毘盧遮那仏(大仏)
奈良時代に大仏が創造されたとき、このように金で荘厳されていた。華厳教では、この世界の本質は光であり世界は光で満ち満ちている。それを示現すると巨大な光り輝く毘盧遮那仏になる。どうしても大仏は金で覆われ輝いていなければならなかった。時あたかも奥州で金が発見された。その目出度さを大伴家持は歌っている。《天皇(すめらぎ)の御代栄えむと東なる陸奥山(みちのくやま)に金(くがね)花咲く》
↓因みに鎌倉大仏は阿弥陀仏である。
大仏の向かって左の虚空蔵菩薩坐像。巨大
↓右に大仏が坐っている。
↓大仏殿内・大仏光背の裏側の大空間。この模型で注目すべきは、東大寺が創建された当時、七重塔が東西に二基建っていたこと。二基ともやがて消滅した。塔跡だけは今も東西に残っている。
↓前代の大仏殿の模型。現在の大仏殿よりも一回り(二回りか)大きい。多聞天(毘沙門天)立像。巨大
↓大仏殿の裏側を一周してきた。大仏の向かって右側の如意輪観音坐像。
↓左に大仏が坐っている。
2015年12月26日土曜日
〇12/10(木)曇 〇〇協会研修旅行、二日目二番奈良公園「興福寺」
〇奈良公園・興福寺に来た。浄瑠璃寺から近い。興福寺は藤原氏の私寺。
↓東金堂・五重塔の前で記念撮影。
↓国宝・東金堂。 金堂はさらに中金堂、西金堂があったが、それらは灰燼に帰している。そのうち中金堂は目下再建中。平成30年度に竣工予定。南大門も復元される。
〇東金堂内の諸仏
↓薬師三尊像・重文
↓国宝・維摩居士坐像↓国宝・文殊菩薩坐像
↓国宝四天王立像の一つ、多聞天・毘沙門天像
↓国宝十二神将立像
↓南円堂。西国33所観音霊場第★番札所。東金堂から、南大門・中金堂の線を越えて西に行くと建っている。普段は非公開。公開されたときボクは中の仏像を拝観しにきたことがある。堂内の仏像は一級の国宝仏ばかり。
↓南円堂を背後から見た。
↓南円堂本尊・国宝不空羂索観音坐像 巨大
この不空羂索観音を護る四天王立像も国宝。
↓北円堂。南円堂の北にある。この北円堂と南円堂の中間に西金堂があった。西金堂の復元計画はまだ立てられていない。北円堂も普段は非公開。時に公開される。公開の案内があった時、ボクは拝観に来たことがある。この堂内にも国宝・重文の仏像、祖師像が立ち並んでいる。
↓北円堂内諸仏の一つ、国宝・無著菩薩立像
↓北円堂 国宝弥勒如来坐像
↓興福寺の西南隅にひっそりと建っている国宝・三重塔。小さい。観光客のほとんどはここまで来ない(この塔の存在を知らない)。
〇国宝館の仏像達のうちから、
↓飛鳥・山田寺伝来の仏頭。国宝。東金堂に現存する木造薬師如来本尊像は山田寺伝来の仏像ではない。山田寺伝来の金銅造薬師如来三尊像のうち本尊像は東金堂が焼けたとき共に焼亡した(脇侍の日光・月光菩薩像はそのまま現存しているらしい)。焼けた時本尊像の仏頭だけが残った。その仏頭もいつしか存否不明になった。それが、薬師三尊像の立つ須弥壇を修復する事業中、壇の中からこの仏頭が出てきた。山田寺伝来の飛鳥時代作の仏頭だった。山田寺は近時発掘された時、横倒しになった連子塀が三間に亘ってそのまま発掘されたことで有名になったあの寺。
国宝・ 阿修羅像
旧食堂本尊・国宝千手観音立像。巨大
↓国宝・金剛力士像
↓国宝・天燈鬼と竜燈鬼
〇国宝館にはその他枚挙に暇がない国宝・重文仏像(文化財)が安置されている。その中には今は無き中金堂・西金堂に安置されていた諸仏像も多い。それらの堂が再建されたとき、それら仏像は元の古巣に戻って行くのであろうか。