2018年6月14日木曜日

〇6-10(日)「十三峠」越えに失敗(車での踏破は不可能)

〇旧中山道、瑞浪市大湫宿から恵那市大井宿間14kmは延々と山中道が続き、越える峠は十三以上あり「十三峠」と呼ばれていた。前回大湫宿に来たときは「十三峠」の標識を無視して反対側のコースを選んだ。その後「十三峠」越えのコースこそ旧中山道の本道だったことを知って臍を噛み今度再訪する機会があったら必ずや「十三峠」越えのコースを辿ろうと心に期していた。その機会がもうやって来た。今日こそ「十三峠」越えに挑戦する。
↓宿場に必ずある「枡形」に当たる地点。突き当たりの家の前に立っているのが、
 ↓この標識。右すれば「十三峠」。前回はこの標識を見ながらも左した。
 右折して直ぐにこの石碑。
 「是より東・十三峠」。道は一車線ギリギリで果たして車で越えられる峠道なのか既にして怪しい。
  ↓モノの一分も走らないうちに三叉路に着いた。
 ↓道標が完全におかしい。左「阿波屋観音」右「大湫宿」とは何事か。肝腎の「十三峠」は何処に行った。
 左の道は、見ただけで行く先が草茫々。とても車で辿る道ではない。
 右は、これは今来た道。
 残るはこの道。何故か舗装してある、が、細い。行き先は標示がない。行くか行かぬか迷っていたら、意外なことに大湫宿から車が一台やって来た。そしてボクに邪魔だから車を動かせという。営林署員風の制服を着ている。「この舗装道が十三峠に行く道ですか」と問うと「車では行けないと思いますよ」と言い残して登って行った。制服が言うんだから間違いなかろう。そうボクは答えを出してまた大湫宿に引き返した。答えが出たので、念願の「十三峠」越えは果たせなかったがすっきりした。
 ↓大井宿側から十三峠越え道に入る地点に「是より西・十三峠」の標識碑が立っているそう(写真はブログ「中山道道中記」より引用)。この東西の案内石碑の中間に「権現山一里塚」も立派に残っているという。遊歩道としては今もあるらしくて十三峠越えを果した人たちのブログ報告がNet検索できる。そこに在る写真を見ると数々の石碑が今も残っているが、道はとなると車が到底走れる状態には見えない。
〇大井宿と御嵩宿の間に一里塚が連続して四つ残っているという。東から「紅坂一里塚」「権現坂一里塚」「奥之田一里塚」「鴨の巣一里塚」。ボクは後の二つを見分した。四つも一里塚が連続したまま残っている例は他にないそう。

0 件のコメント:

コメントを投稿