ご帰還遊ばす頃になってやっと紀行文第一報を投稿するぞよf(-_-;)
場所は福井県《南条SA》。旅の第一日目の早朝、エンジン掛けたらブルブルっと身震いして頼もしさを発揮した僕の《ロシナンテ》よろしく相棒セレナの雄姿。本当に頼んまっせ。
道中に《三方五湖》がある。ここは有名な観光地だから絵になる構図の一つや二つあるに違いないと、素人は考える。しかし絵になる構図は一つもない。実は何を隠そう、この僕が数年前実地に具に探索済み。結論は、何もない、以上終わりッ(`´)(/_;)。ご苦労さんf(-_-;)。唯一絵になるかも・・・と思った地点に立って撮ってみた。三方五湖におはようさんの御挨拶って感じ。
足許に不思議な植物を発見。
確かに小浜に来たことの証明書を発行。JR駅名入りの写真を撮るのが一番。
その街の盛衰振りを示すには駅前商店街の顔を写すのが一番。
到着時刻を示すには現地の時計を写すのが一番。
《杉田玄白記念公立小浜病院》が設立されているくらいだから、杉田玄白は小浜市出身と思ってしまう。しかし僕はその話、聞いたことがなかったのでちょっと念のため調べてみた。すると、7歳から12歳の僅か5年間(現代なら小学生時代)、父が小浜藩医として小浜に赴任していたのでその期間だけ一緒に小浜に来て暮らしている。生まれは江戸の小浜藩酒井家の下屋敷。小浜時代以外はすべて江戸の藩邸暮らし。成長して藩医であった父を襲って江戸勤めの小浜藩医になったが、独立して江戸で町医者になった。それ以降は御存じの通りなので略(前野良沢らと《解体新書》を翻訳発刊)。結局彼の人生は、小浜藩とは関係が深いが、小浜市との関係は牽強付会の感がある。尤も太平洋を跨にかけて《オバマ》大統領から「日本の《おばま》市民がエールを送ってくれていることは承知している」とのお言葉をちゃっかり頂戴しちゃう人達だから、玄白ほどの濃い関係があれば当然至極に小浜の人になるのだろう。別に異論はありません。
有名な《蘇洞門》はこんな具合だそうでf(^_^;)。僕は見てきた訳じゃないけど、フィッシャーマンズワーフの宣伝板にあった写真を拝借。
次の目的地は舞鶴。