2011年6月20日月曜日
6/19(日)盛岡からの帰路
「ルートイン盛岡駅前」でサービス朝食、7時45分ホテル発。東北自動車道を南下。吾輩は後部座席で横になりウトウト。していたらいつの間にか福島県。ドンドン進んで郡山から磐越自動車道に入り西へ。会津若松ICで下りて、湯川村「勝常寺」へ。近い。11時到着。霊宝館はやはり施錠されたまま。国宝・重文の仏像達にお目にかかれそうにない。他の巡礼者も困ってウロウロしている。ここで吾輩は少し離れた所に本坊があることに気が付いた。交渉して是非拝顔して帰ろうと乗り込んだ。ら、若い僧が言うに「ちょっと待っていて下さい」。これは脈ありと喜んで霊宝館前で待っていると、オバサンが現れた。手際よく霊宝館、薬師堂の順に錠前を外してガイドしてくれた。普通は予約が要るらしい。面会した仏像群の品格の高さに圧倒された。東北・会津に平安初期にこの様な仏像群が存在したということは驚異。当時の東北の文明度につき、吾輩は再認識を迫られた。こうして懸案の「勝常寺」巡礼は完遂された。満足感に充足されて会津を後にした。あとはひたすら北陸へ、七尾へ。夕方6時、未だ陽があるうちに七尾到着。旅程集計。七尾~盛岡間(北陸道・関越道・磐越道・東北道)片道距離・800km。片道所要時間・10時間。
2011年6月19日日曜日
6/19(日)会津湯川村「勝常寺」
仁王門。年代モノの古材を使って大正時代に建てられた。


↓ 薬師堂本尊・薬師如来坐像・国宝(「日本の仏像No46・勝常寺薬師三尊とみちのくの仏」講談社より引用)。厨子の中に鎮座。国宝・日光・月光両脇侍菩薩も厨子の中に立っていたが、両菩薩像は今は霊宝館に移されているので独り寂しく坐っている。漏電の怖れがあるので電光では見れない。格子戸から入る僅かの自然光で拝する。
霊宝館。今日も閉まっていた。が、一思案の末、本坊が近くにあったので交渉しに行った。何とか開けてくれることに。どうも予約制らしいが、境内の何処にも予約申込み先すら表示してないんだから話になっていない。折角巡礼にはるばる訪れてきて、空しく引き返す人は数知れないだろう。昨日の吾輩たちがそうだった。今日も執念がなければ同じ轍を踏んでいた。
霊宝館の至宝たち(以下の写真はすべて「日本の仏像No46・勝常寺薬師三尊とみちのくの仏」講談社より引用)。
↓ 日光菩薩立像・国宝
↓ 月光菩薩立像・国宝
十一面観音菩薩立像・重文。霊宝館に入って右隅に立っている。吾輩の目に最初に入ったのがこの仏像。感動した、胸が高鳴った。
天部立像・伝虚空蔵菩薩。重文
聖観世音菩薩立像・重文
地蔵菩薩立像・重文
地蔵菩薩立像・重文
四天王像・重文。一体は、東京国立博物館に寄託。



いずれの仏像も、平安初期に制作されたもの。開基は「徳一上人」と伝承され、上人自刻と伝わる「徳一上人坐像」も霊宝館に安置されている。「徳一」は「最澄」との宗論対決で有名。唐から帰朝した最澄が比叡山に延暦寺を開基したとき、南都から宗論を挑まれた。その南都の代表僧が陸奥・会津の徳一だった。最澄の相手が何故会津の徳一だったのか、勝常寺の仏像群を見分して少し納得がいく。徳一は南都・奈良の都で修業して当代一の学僧となり、都の最高の仏師に彫刻させた仏像群を馬車に乗せて陸奥に布教に赴いた――その様な情景が目に浮かぶようになっただけでも、ここを訪れた甲斐があった。平安初期にはもう会津地方は仏教文明の最高峰の学僧と仏像に恵まれていた。
霊宝館。今日も閉まっていた。が、一思案の末、本坊が近くにあったので交渉しに行った。何とか開けてくれることに。どうも予約制らしいが、境内の何処にも予約申込み先すら表示してないんだから話になっていない。折角巡礼にはるばる訪れてきて、空しく引き返す人は数知れないだろう。昨日の吾輩たちがそうだった。今日も執念がなければ同じ轍を踏んでいた。↓ 日光菩薩立像・国宝
↓ 月光菩薩立像・国宝
十一面観音菩薩立像・重文。霊宝館に入って右隅に立っている。吾輩の目に最初に入ったのがこの仏像。感動した、胸が高鳴った。
天部立像・伝虚空蔵菩薩。重文
聖観世音菩薩立像・重文
地蔵菩薩立像・重文
地蔵菩薩立像・重文
四天王像・重文。一体は、東京国立博物館に寄託。


いずれの仏像も、平安初期に制作されたもの。開基は「徳一上人」と伝承され、上人自刻と伝わる「徳一上人坐像」も霊宝館に安置されている。「徳一」は「最澄」との宗論対決で有名。唐から帰朝した最澄が比叡山に延暦寺を開基したとき、南都から宗論を挑まれた。その南都の代表僧が陸奥・会津の徳一だった。最澄の相手が何故会津の徳一だったのか、勝常寺の仏像群を見分して少し納得がいく。徳一は南都・奈良の都で修業して当代一の学僧となり、都の最高の仏師に彫刻させた仏像群を馬車に乗せて陸奥に布教に赴いた――その様な情景が目に浮かぶようになっただけでも、ここを訪れた甲斐があった。平安初期にはもう会津地方は仏教文明の最高峰の学僧と仏像に恵まれていた。6/18(土)の旅程
金曜夜十時、新潟県・名立谷浜SA泊。女房のプリウスで来たので狭くて寝にくい。運転席で女房はコテンと寝入って午前三時にパッと目覚めて運転再開。後部席で横になって吾輩がウトウトしていたら、早朝六時もう西会津に着いた。会津若松は次のIC。こんな早朝に「勝常寺」の霊宝館が開いている筈がない。で、時間潰しに「大山祇神社」と「鳥追神社」に立ち寄った。大山祇神社は立派な拝殿だったが、これが単なる遙拝所。本殿は四km奥の山中にある。歩かねばならない。とてもそんな余裕はないので次の機会の楽しみに取っておくことに。「立木観音」にも寄るつもりだったが、通り過ぎた。ここの観音像は身の丈四、五mもある。立木にそのまま彫刻したという伝承をもつ。ここも次の機会の楽しみに。「勝常寺」到着が午前七時。霊宝館は午前九時開館。とても待ってはおれない。で、薬師堂・重要文化財を見学して先に進む。またウトウトしていたらアッと言う間に仙台を過ぎて郊外の大和IC手前。東日本大震災の被害が松島・瑞巌寺に及んでいるかどうか気になっていたので、東北自動車道を下りて東へ、太平洋へ。松島の松、五大堂そして「瑞巌寺」は無事、ほぼ無傷。湾頭の左右から伸び出た岬・半島が大防波堤になったと見える。盛岡着、午後三時。市中散策に出た。盛岡城址・櫻山神社、盛岡八幡宮。盛岡城跡を下りた所で女房は出席予定のパーティ会場に向かった。午後六時半、盛岡駅前のルートインホテルに帰り着いた。足が棒。明日は帰路に会津若松ICで下りて湯川村の「勝常寺」に寄る、絶対。
2011年6月17日金曜日
6/17(金) 女房に付き合って盛岡へ
女房がこの週末、盛岡へ車で行くというのでお付き合いすることに。運転手を務めることになる。但し条件を付けた、会津に「勝常寺」という古刹がある、そこへ寄ること。この寺には、平安初期の仏像が沢山残されている。それらは国宝・重文に指定されている。それで今夕出発する。
2011年6月16日木曜日
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