2009年7月2日木曜日

宿命ということはあるか? ある、と僕は思っている。

僕は双子で生まれた。稀有な生まれと思っている。

僕は先に生まれたのに「兄」とされている。母の話では、臍の緒は一つだったから一卵性双生児だそう。片割れの「弟」は成人してから二卵性じゃないかと疑問を差し挟むようになった。僕は産んでくれた母の説を信じている(尤も臍の緒が一つなら一卵性と断定できるのか、そこははっきりしない)。双子は生まれ落ちる前から特殊な世界に生きている。母の狭い子宮内で押しあい圧(へ)し合い蹴り合って折り合いをつけながら他者の存在を触覚的に感じている。生まれ落ちてからも傍で片割れの泣声を聞き匂いを嗅ぎ触って体温質感ボリュウムを感じて母以外の他者の存在を早くに身近に感じている。目が開くと母を見、そしてずっと触覚的に感じてきた他者を光の中に見る。母の胎内の触覚的世界から共にあった他者、それは何モノなのか――双子は生まれ落ちる前から普通の生まれでは与えられない命題に既に当面して生まれ出るという宿命を負っている。
僕が自分を双子という稀有な生まれであると意識したのは、僕達を見る他人の目の中に奇異なモノを見る時の独特の色を見出した時が初めて。「双子ッ」と差別感情を露わにした言葉を投げつけられた時が宿命と自覚した始まり。
生まれ出る時に既に負っていた宿命が双子のその後の人生に如何に測り知れぬ支配力を及ぼすものであるかについて、普通の生まれの者は知る術がない。その普通測り知れぬところを、自分の人生(来し方)を素材にしてそれを《現象学》的に研究してみようというのが、僕のブログを書くもう一つの趣旨。人とは何モノなのか、人は何モノたり得るのか――それを、双子という宿命を負って生まれた立場を奇貨として双子であればこそ持てる観点手法(双子にしか持てない観点手法)で探究してみる、これぞ僕の――双子として生を享けた僕の宿命的課題だと何時の頃からか自覚した。その時期は――絵を本格的に描くようになった頃とほぼ一致する。

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