公用で七尾から出張してきた女性二人と午前中、金華山に登り岐阜城跡を見学。
ロープウェイを利用。
ロープウェイ終点に「リス村」があった。女性達が可愛い、入ろうと言うので付き合った。台湾リス達で、本当に可愛かった。
本丸下の資料館。
天守閣。
本丸天守閣内資料館の「天下布武の印」。
天守閣からの眺め。見える城郭は資料館。
長良川上流方面。僕はセレナを運転してこちらから岐阜にやって来た。
山頂風景。岩塊が剥き出し、信長の時代も、頂上はこの様な風景だったんだろう。
山麓に戻って散歩すると、菊人形展をしていた。織田信長居館門前に立つのは信長公の菊人形。
織田信長・居館跡。金華山は天嶮で高さが500余mもある、しかも軍を収容する地平は小さい。兵糧備蓄は大して出来まい、水も乏しい。信長が平生、山上で生活し政治を行っていたとは思えない。普段は金華山を背にした山麓の居館で政治を執り行っていた。山上の岐阜城は、非常時に駆け上がって一時安全を確保し、山下の敵勢を見下ろして、尾張・美濃(さらに近江)の配下の軍に下知をし、三河の同盟軍に援軍を要請するという戦略のための城だったろう。信長が金華山に立て籠もることは生涯なかったが。
居館の門前。
居館跡に至る坂。この奥の平坦地に居館があった。
信長公の庭と称されている。
信長が天下布武を目指しその本拠地を岐阜と命名した、まさにその地で岐阜城・居館跡を見学出来たことは、僕には大きいこと。歴史を見る目が肥える。
二人と正午頃に別れて、いよいよ独り旅を開始。明日・日曜日の天気が日本海側ほど悪いと聞いていたので、南紀を目指した。国道を岐阜・大垣・養老・海津と辿ったので時間を食った。東名阪・桑名ICに入り込んだ時はもう2時半、この時季、夕暮れは早い、5時になればもう暗い。今日は尾鷲辺りで宿泊だなと目星を付けて走行。伊勢自動車道から紀勢自動車道が分岐していたのでそれに乗り換えた。途中までだが時間短縮にはなった。
国道「荷坂峠」に到達。古道荷坂峠は、世界遺産《熊野古道》の一翼。この峠を下ると、紀伊長島。
紀伊長島の港。
紀伊長島から海岸通りを走行。尾鷲市の手前の「海山(みやま)道の駅」で宿泊することに。夜空を見上げるとほぼ満月に近い月が照っているのだが、果たして明日の天気は。
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