2009年11月18日水曜日

湖東三山のうち、百済寺


「百済寺」、これを僕は「くだらでら」と読んでいた。寺自身は「ひゃくさいじ」と読ませている。元々は矢張り百済からの渡来人の寺だった。近江の国には渡来系の人達が住んでいたことを思わせる地名が多く残っている。この寺の由緒は古い。聖徳太子の創建にかかると伝えられている。中世には、一山境内を四つの谷に分かち四ッ谷の塔頭300余坊と言われた大寺院だった。それが信長の時代に、信長に抵抗する近江の名門・佐々木氏に味方して信長の逆鱗に触れ、比叡山焼き討ちに伴って焼打ちに遇い一山灰燼に帰した。安土城築城のみぎりには百済寺の石段・石垣が取り崩され運び去られた。こうして国宝級の建造物・仏像等は残らなかったが、境内は往時を物語って広大であり、また古刹の面影を今も宿している。
赤門。







































赤門からの参道。
















本坊へ。

















本坊の門。

















本坊。








































回遊式庭園。











































































































































































































































































仁王門に至る石段。

















仁王門。

















































































本堂。







































































千年菩提樹。信長の焼討に遇い幹まで焼損したが、熱が根にまで及ばなかったために幹の周囲から再び蘇った。中央の空洞部(直径約80cm)が、焼討当時の幹の直径に相当するそう。























































本堂と菩提樹。

















本堂と石垣。

















百済寺を出発した時はもうすっかり暗くなっていた。一路帰途に就いた。


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